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憲法記念日の新聞社説の中に鈴木義男氏の名を見つけ、憲法の制定論議がなされた第90回帝国議会(1946年)のやりとりが脳裏に浮かんだ。鈴木氏は日本社会党の結成に関わり、片山・芦田内閣で司法相などを務め、憲法制定にも関与した▼社説は鈴木氏が憲法に「生存権」を盛り込むように訴え実現させたとし、これをもって「米国側の『押しつけ』ではなかった」と論じていた。脳裏に浮かんだのはそのことではない。憲法前文をめぐる鈴木氏の嘆き節だ。
「(前文は)まことに冗漫であり、切れるかと思えば、続き、まるでこれは、源氏物語の法律版を読むような感じがする。……これが果たして国を治める立派な文章といえるであろうか」。護憲の社会党をもってしても容認し難い“悪文”だと断じていた。
従来の帝国憲法には前文がなかった。ところが、GHQ(連合国軍総司令部)が示したマッカーサー草案に前文があり、日本側は削ることを主張したが、受け入れられず、英文をそのまま日本語に訳した。
それも手間取り、翻訳臭さがもろに残った。当時、法制局第1部長だった井出成三氏はそう証言している(『困った憲法 困った解釈』時事通信社刊)。
前文の悪文だけでなく、「敗戦者の詫び証文」のような中身はさらに問題だ。ウクライナ危機では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」が空念仏だと思い知らされた。前文を放ったらかしでいいのか。論議を望みたい。