令和になって、もうすぐ丸3年。早くも政権は安倍―菅―岸田の3代目へと移ろい、世界はウクライナ戦争でついに暴風圏に突入した。長かったような短かったような。妙な感覚の3年である。
「令和」の出典となったのは『万葉集』の「梅花の歌三十二首」の序文で、大伴旅人の作。世は天平の時代。唐が玄宗の下で巨大化し、朝鮮半島を統一した新羅と共に日本をうかがう。東アジアは暴風圏の真っ只中にあった。そんな歴史が今と重なる。
『万葉集』20巻には、旅人の子である大伴家持が収集した防人歌が数多くある。信濃国(長野県)の人は旅立ちに当たってこう詠む。「唐衣(からころむ) 裾(すそ)に取りつき 泣く子らを 置きてそ来(き)ぬや 母なしにして」(服にすがって泣きつく子供たちを置いてきてしまった。すでに母さんはいないというのに)。切ない別れである。
ウクライナの首都キーウ近郊で、戦地に赴くパパに取りすがり、泣きじゃくる幼子の映像がテレビで流れていた。ロシアでもウクライナでも若き戦死者の葬儀で母親が泣き崩れている。防人歌には父母を思う駿河国(静岡県)の人の歌がある。「父母(ちちはは)が 頭(かしら)かきなで 幸(さ)くあれて 言ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる」(達者でいなさいね、と父母が私の頭をなでながら口にした言葉が忘れられません)。
親子の情愛は普遍である。その営みをプーチン露大統領が断ち切った。ウクライナ侵略が始まって早や2カ月。惨劇はいつ終わるのか。