ウクライナには30年ほど前に1度訪ねたことがある。ソ連のゴルバチョフ大統領(当時)によるペレストロイカ(改革)の時代で、ちょうど今頃の季節だった。雪が散らつくモスクワの飛行場を飛び立ち、機上から見下ろしたウクライナの大地は緑が濃く、豊かだった。
キーウでは、5人ほどの作家やジャーナリストがウオッカで歓迎してくれた。モスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルク)でも美術館の館長や文学関係者に会ったが、そんな親しみやすさはなかった。
ロシアとは異なる独特の気質をウクライナの人々から感じることはできた。しかし今となっては、ウクライナ文化をロシア文化の一部分のように誤って理解をしていた自分が恥ずかしい。
例えば、ロシア料理の代表のように言われる「ボルシチ」も、もともとはウクライナの郷土料理だ。
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」第1楽章の主題は、チャイコフスキーが、妹夫婦が暮らすキーウの南100㌔ほどにあるカーミアンカ(ロシア語でカーメンカ)という町を訪れ、盲目のコブザ(8弦の民族楽器)弾きが歌っていたものを採譜したものだという。チャイコフスキーにはウクライナ・コサックの血も流れているらしい。
以上は元駐ウクライナ大使、黒川祐次氏の『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)で知った。以来、ピアノ協奏曲第1番を聴くと、機上から見たウクライナの大地が目に浮かんでくるようになった。