「多摩川を越えたる先の横山がわが住む町の遠景にあり」――。ぷりずむ短歌会同人の谷本周枝さんが今月号「ぷりずむ」に掲載した歌で、住まいは東京都府中市の大國魂神社の近くにあるらしい。
先の横山というのは多摩丘陵のことで、西から小山田、小野路城、小野路宿、真光寺、黒川と続いている。それらの地域の北側の縁を彩る山々が、万葉集の時代から「多摩の横山」と呼ばれてきた。
武蔵の国府、府中から眺めると、横に連なる山々で、夕暮れ時にシルエットとして浮かび「眉引き山」とも呼ばれた。今、多摩丘陵は新緑に萌(も)え始め、ヒメジオンやスミレ、ホトケノザなどが花咲いている。
この尾根の北側で東西に尾根幹線道路が通っているが、山側には並行して「多摩よこやまの道」があり、多摩市により散策路として整備されている。この道は古代から武蔵野と相模野を東西に結ぶ交通の要害だった。
小野路宿と真光寺の間を南北に鎌倉街道が通っていて、よこやまの道は歴史を通じて商人や武士団や巡礼者らが行き来したと推測されている。多摩センター駅からバスで小野路宿に向かうと、この尾根を境に風景が一変する。
北は多摩ニュータウンの現代都市、南は歴史の面影を色濃く残した里山。その境目の丘で、西国へ向かう防人は故郷を振り返り別れを惜しんだという。防人の妻が詠んだという歌が万葉集に記録されている。谷本さんが見た風景は古代人も見ていた風景だ。