【上昇気流】(2022年4月6日)

新型コロナウイルス禍であっても、戦争が始まっても、桜は咲く。ソメイヨシノは江戸後期以降のものと聞く。それまではヤマザクラが主流だったようだ。「さまざまのこと思い出す桜かな」と芭蕉は詠んだ。句はシンプルだが、思い出す中身はそれこそさまざまだ。読者はそれぞれの思いでこの句を受け止めるだろう。

「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり」と西行は歌った。咲くのも散るのも美しいのが桜だが、夢で見た桜であっても胸が騒ぐ。夢だから余計心騒いだとも取れる。とかく桜は人騒がせだ。

「どうせ死ぬなら桜の下よ/死なば屍(かばね)に花が散る」。民謡「田原坂(たばるざか)」の一節で、明治10年の西南戦争を歌ったもの。壮絶悲惨な闘いだったが、言葉は美しい。

「春や昔十五万石の城下かな」(正岡子規)は、生まれ故郷の松山城の春景色を思い出して詠んだものと思われる。春ののどかな風景がそのまま浮かんでくる。

「われ亡くて山べのさくら咲きにけり」(森澄雄)というのもある。自分が死んでしまっても、それと無関係に桜は咲くだろう。その後間もなく散るに違いない。死後1000年たっても咲いては散るだろう。

桜は「キレイ」や「見事」だけでは済まないところがある。キレイの奥には何やらまがまがしいものが隠れていそうだ。桜には歴史や文化がまつわりついている。一筋縄ではいかない、厄介な代物だ。そうした奥行きの深さも、桜の不思議な魅力だ。

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