沖縄県は今年5月15日、祖国日本に復帰して満50年を迎える。これを機に、玉城デニー知事は政府に意見や要望を申し立てる「新たな建議・宣言」(以下、新たな建議)作成を進めている。50年前に革新系団体が主導したいわゆる屋良建議書と同様に政府に意見や要望を申し立てるものになるのではとの懸念と共に当時、復帰対策県民会議が作成した要綱こそ歴史的価値のあるものだとする異論が出ている。(沖縄支局・豊田 剛)
辺野古反対を公式化か、「屋良建議書」焼き直しの懸念
沖縄県は、政府への要求を含め新しい沖縄像を描く「新たな建議」を作成するに当たり、2月18日から3月11日まで県民の意見を募集した。その内容について、こう説明している。
<県民福祉を最優先に考える基本原則に立ち、「(1)地方自治権の確立」、「(2)反戦平和の理念をつらぬく」、「(3)基本的人権の確立」、「(4)県民本位の経済開発等」の4つを骨組みとする新生沖縄像を描いています。>
玉城知事は13日、有識者と意見交換会を行い、新たな建議作成のプロセスに入った。集まった県民の意見を踏まえた作業とはなるが、「反戦平和の理念をつらぬく」原則を曲解し、米軍普天間基地の辺野古移設反対の声を公式化して、退潮ぎみの移設反対運動を盛り返すために利用するのではないかとの懸念が出ている。
玉城知事が前例とし、その精神を受け継ぐと表明しているのは、本土復帰直前の1971年秋、米軍基地の存続など日米政府が同年6月に調印した沖縄返還協定の内容に不満を抱く琉球政府(屋良朝苗主席=知事に相当)の副主席を本部長とするプロジェクトチームが作成した「復帰措置に関する建議書」、いわゆる屋良建議書だ。
同建議書は米軍基地について、「基地あるがゆえに起こるさまざまの被害公害や、取り返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」と記している。
屋良主席はわずか1カ月余りでまとめ上げた建議書を政府と、返還協定の批准をめぐり紛糾する国会に手渡すため11月17日に上京したが、その日に返還協定の承認案は自民党が主導し衆院の特別委員会で採決。東京のホテル到着後にその事実を知らされた屋良氏は茫然自失して建議書を手渡す機会を失った。そのため、幻の建議書とも言われ、後に辺野古移設反対運動の中で「基地のない平和の島…」という下りがクローズアップされている。
自民・又吉清義県議「復帰対策要項」に県民の総意が反映
又吉清義県議(自民)は3月1日、沖縄県議会の一般質問でこの建議書の有効性について県をただした。
「祖国復帰協議会は闘争のためにできた団体。そこが作った建議書について立法院議員は協議しておらず、正式な組織ではなく、正式な公文書としての効力は認められない。マスコミや知事が掲げる建議書とは大きくかけ離れるもので、復帰50年を迎えるにあたり正しい歴史を明かす必要がある」
こう訴えた又吉氏は、本来重視すべきは「復帰対策県民会議」が作成した要綱だと指摘した。
復帰対策県民会議とは、70年10月に琉球政府に発足した復帰対策室に続き、11月12日、屋良主席の提案で設置された。県内各層から保守か革新を問わずバランスの取れた代表47人で構成され、1月16日から8月18日まで14回にわたり、復帰対策室がとりまとめた第1次から第3次までの「復帰対策要綱」について審議し諮問・答申が行われた。それを基に琉球政府は復帰対策要項要請書として政府に提出。同要綱は9月3日の第3次まで3度にわたり閣議決定された。行財政、産業、教育・文化、司法など、復帰により県民の生活や経済活動に大きな影響を及ぼす分野が盛り込まれた。
ところがその1カ月後の10月1日、米軍施設が残るままの復帰に反対した一部勢力が「復帰対策要綱に県民の考えが十分に反映されていない」として、革新系の祖国復帰協議会を発足させ、「沖縄批准国会の闘争要項」をまとめた。琉球政府はそれに同調するように、10月11日の臨時局長会議の決定に基づいて弁護士や学者も組み入れて復帰措置総点検プロジェクトチームを編成し、1カ月余りで膨大な「屋良建議書」をまとめあげたのだ。
又吉県議は、復帰対策県民会議が半年かけて政府とも検討した上で作成し、沖縄側が了承したことを屋良建議書が蒸し返すように主張することは問題だと指摘した。「屋良建議書」は県民の総意でも願いでもなくなく、特定のイデオロギーを持った革新側の声であるにもかかわらず、公式な手続きを経てできた復帰対策要綱を公開しないで隠蔽しようとする県の姿勢を追及。「復帰対策要綱についても検証する必要もある」という県当局の答弁を引き出した。
沖縄史に詳しい日本沖縄政策フォーラムの仲村覚理事長は、「建議書は祖国復帰50周年記念で引き継ぐべき理念として、とても認められるものではない」と指摘。「建議書は革新勢力へのガス抜きであり、いかなる条件であっても沖縄の日本への復帰を願っていた屋良氏の本音は復帰対策要綱にある」と強調した。
沖縄復帰50周年を前に、復帰の評価を問う歴史論争はますます激しくなりそうだ。