上昇気流(2022年2月15日)

昨年亡くなった歌舞伎の人間国宝、二代目中村吉右衛門さんを偲(しの)んで、NHK「古典芸能への招待」で名場面のいくつかが放送された。吉右衛門さんはその口跡の良さが魅力だった。「極付幡随長兵衛」の名科白など、久しぶりに聞いてうっとりとさせられた。

歌舞伎座

演劇評論家の戸板康二は『すばらしいセリフ』で120の名科白を取り上げているが、「約半分は、役者の声を思い出すことで、名セリフと思わせるもの」と断っている。

もちろん科白そのものの魅力も大きい。「幡随長兵衛」の作者、河竹黙阿弥の手になるものなどは、さながら名科白の博物館だ。

ご存じ弁天小僧の「しらざぁ言ってきかせやしょう。浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種ぁ尽きねえ七里ケ浜」(青砥稿花紅彩画〈あおとぞうしはなのにしきえ〉)など、この七五調の名科白が聞きたくて劇場に足を運ぶ。「遅かりし由良之助」(仮名手本忠臣蔵)などの名科白を昔の人は「まるで諺のように自分のものにしていた」と戸板は言う。

ハリウッド映画は基本的に気の利いた科白が多い。それに比べ最近の日本映画は、科白が凡庸で、ただの会話の域を出ていないように思われる。

その差はどこからくるのか。言語文化の大きな違いが根底にあるのだろうが、欧米の場合、やはりシェイクスピアあたりからの伝統がどこかでつながっているのではないか。日本では明治以降、何度かの断絶があり、科白文化が継承されなかったという気がするのである。

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