「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」と聖書(ルカによる福音書)にある。スポーツ観戦のたびに、この聖句が思い浮かぶ。守りに入って負け、果敢に攻めて勝った。そんな試合や演技が少なからずある。
1992年のアルベールビル冬季五輪(フランス)でフィギュアスケートのリンクに立った伊藤みどりさんは、金メダルの有力候補だった。そのプレッシャーで守りに入り、オリジナルプログラムは一段レベルを落としトリプルルッツ(3回転ジャンプ)で臨んだが、それすら転倒。前半は4位で出遅れた。
勝負をかけたフリーも、最初のトリプルルッツは回転が足らずダブル(2回転)に。最高の見せ場のトリプルアクセル(3回転半)は着氷に失敗して尻餅をつき、会場全体にため息がもれた。万事休すか。彼女の心は大きく揺れた。
後半のジャンプを難易度の低いのでまとめればメダルに手が届くかも。それとも五輪という最高の舞台でトリプルアクセルに再び挑むか。彼女は一瞬迷ったが、体は「死なんとする」方に動いた。
誰よりも速く滑り、高く体を宙に浮かせ、五輪史上初めて女子によるトリプルアクセルを成功させた。一瞬の決断が銀メダルをもたらした。伊藤さんは「たった4分間に喜怒哀楽のすべてを味わった感がする」と述べている。
人権抑圧を重ねて独裁を維持し「生きんとする」習近平氏には知り得ない心の風景である。北京冬季五輪は習氏の終わりの始まりか。