遠友再興塾主催は今回初めて
大正時代に国際連盟事務次長に就き、宗教家・教育者として知られた新渡戸稲造が残した業績の一つに札幌遠友夜学校の創設がある。同校はおよそ50年続き、多くの卒業生を輩出したが、その建学の精神を引き継ぎ、札幌市に記念館の再建を訴える遠友再興塾(佐藤邦明会長)がこのほど、「新渡戸の夢」と題するドキュメンタリー映画の上映会を行った。(札幌支局・湯朝肇)
夜学設立の過程など紹介
建学精神継承する団体も
「新渡戸稲造先生が始めた札幌遠友夜学校は明治27(1894)年に創られました。今年創立130年目になりますが、それを記念した映画『新渡戸の夢』が制作され、今回、その映画を鑑賞したいと思います」――こう語るのは遠友再興塾の佐藤邦明会長。9月7日、同会長が経営に携わっているマルキン本社ビル3階の会議室で開かれた上映会には30人ほどが参加。そこで佐藤会長は、映画を上映する前に新渡戸稲造が開設した札幌遠友夜学校の概要と遠友再興塾の目的について説明した。
「札幌遠友夜学校の50年の歩みを見れば、新渡戸先生の教育の原点がここにあったということが分かります」と力説する。当時、札幌の人口は3万人ほどであった。北海道の開拓が急ピッチで進められてはいたが、現在のような教育基盤が整備されていたわけでもなかった。そうした中で開設された札幌遠友夜学校の特徴は、①授業料は無料②男女共学③教材は無償で提供④教師は札幌農学校の先生・学生で無報酬――などというものであった。
「遠友夜学校は貧しくて学校に通えない子供たちや昼間働いていた子供たちのために夜間開かれた学校でした。規律の取れた学校で子供たちは喜んで通ったといいます。2014年にパキスタン人の女性マララ・ユスフザイさんが女性の教育を受ける権利を訴えてノーベル平和賞を受賞しましたが、100年以上も前に新渡戸は男女共学を実現していたことになります」と佐藤会長は新渡戸稲造の取り組みが,いかに時代を先取りしていたかを強調する。
そんな札幌遠友夜学校をテーマに創立130年を記念して野澤和之監督がドキュメンタリー映画「新渡戸の夢」として製作した。その内容は札幌遠友夜学校ができるまでの過程と当時の様子、さらに現在、札幌市内で札幌遠友夜学校の精神を継承しながら活動を続けるボランティア団体が幾つか紹介されており、遠友再興塾も映画の中に登場する。すでに同映画は札幌市内の映画館でも上映されているが、遠友再興塾が主催しての上映会は今回が初めて。
ところで札幌遠友夜学校は明治27年から昭和18(1943)年まで、およそ50年の間に3800人が学び1170人の卒業生が巣立っていった。約3分の2が仕事と勉学の両立がかなわなかった時代だった。その後、遠友夜学校の跡地を巡って札幌市と財団法人遠友夜学校との間で、昭和37(1962)年に跡地を札幌市に無償提供する代わりに、そこに建設される札幌勤労青少年ホームの一室に新渡戸稲造と札幌遠友夜学校の業績を記念顕彰する部屋の設置を約束した。時は経過し、同ホームは解体され、札幌遠友夜学校の資料は札幌資料館に移されたが、平成26(2014)年7月に札幌市は、一切の説明もなく新渡戸稲造や札幌遠友夜学校の貴重な資料を北海道大学に無償提供してしまった。折しも当時の札幌市は革新市長の上田文雄氏の時代であった。
遠友再興塾の佐藤会長は、「有島武郎が作詞した札幌遠友夜学校の校歌は9番まであるが、極めて格調が高く現在の教育にも通じるものがある。かつて札幌市が財団法人遠友夜学校との間で新渡戸稲造と札幌遠友夜学校の業績を札幌市が責任を持って管理すると合意したのであるから、その約束は果たすべきである」と訴える。現在、札幌遠友夜学校の跡地は、「新渡戸稲造記念公園」と名付けられ、そこには新渡戸夫妻の顕彰碑が建立されているのみである。同塾はこれまで札幌市民を対象に講演会や紙芝居などを通じて、新渡戸稲造の教育精神の普及および札幌市主導による札幌遠友夜学校記念館の設置を呼び掛けている。