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『文芸編集者、作家と闘う』山田裕樹著 伴走者としての回想記【書評】

「文芸編集者」とタイトルにあるので、純文学系の編集者と思ってしまうが、実際はエンターテインメント系の編集者のことである。

『歌集 ゆふすげ』 美智子著 今の日本を代表する歌人【書評】

書名のゆふすげはユリに似た黄色い花で、別名きすげ。旅に出た皇太子を御所で待っている時に詠まれた「三日(みか)の旅終へて還らす君を待つ庭の夕すげ傾(かし)ぐを見つつ」(昭和49年)などの歌に出てくる。歌人の永田和宏氏は解説で、「茎はまっすぐでも、花は少し傾いだように咲く…。このような一点の些細な発見が、歌をすっくと立ちあがらせてくれる」とし、今の日本を代表する歌人と評価している。

『海とサルデーニャ』 D・H・ロレンス著 文明の網にかかっていない島【書評】

この英国人作家にとってイタリアは深い縁のある国。妻となるドイツ人のフリーダと駆け落ちして逃れたのもこの国。名作『息子と恋人』を完成させて独自の文明観を発展させたのもこの国だった。

『続 音楽はお好きですか?』藤岡幸夫著 指揮者と演奏者の関係を見る【書評】

本書は、前書と同様、行間から明るい声がこぼれてくるような本である。本書の方が幾分張りのある声になっている。

千駄ヶ谷の富士塚/東京都渋谷区

富士登山が江戸で盛んになるのは富士講によるもの。その教えが広められ、広い地域で組織化されるようになる六世食行身禄(じきぎょうみろく)の時。吉田口七合五勺(しゃく)の烏帽子(えぼし)岩で31日間の断食をし、中心経典となる「三十一日の巻」を口述。終わるとその場で享保18(1733)年、息を引き取ったという。

坪内稔典著『高浜虚子―余は平凡が好きだ―』

正岡子規の衣鉢を受け継いで写生俳句を大成し、俳誌「ホトトギス」を通じ俳句の大衆化に大きな業績を残した高浜虚子。その人生を子規研究家で俳人、エッセイストの坪内稔典氏が軽やかに描いた。

【フランス美術事情】歴史的名画に全身で浸る没入型展示

歴史的名画に全身で浸る没入型展示は、新たな芸術体験だ。デジタル・アート・センター、アトリエ・デ・リュミエール(パリ11区)では、没入型で体験する「ピカソ、動く芸術」と「夢の国のル・ドゥアニエ・ルソー」展が開催されている(6月29日まで)。

春待つ城下町ー福島県三春町

福島県のほぼ中央部に位置し、桜と歴史文化の城下町、三春。桜咲く季節には国指定天然記念物「三春滝桜」を一目見ようと海外からも観光客が訪れ、町は一気に華やかなムードに包まれる。じっと春を待つ城下町を訪れた

『クライミング・マインド』ロバート・マクファーレン著 試練を追求した登山家の歴史 【書評】

「わたしたちは、高みで経験することはまったく人それぞれの、個人的なものだと思い込みがちかもしれない。けれども本当は、わたしたちひとり残らず、ほとんど目に見えない、入り組んだ感性の系譜の継承者なのだ」

『霊性の日本思想』末木文美士著 宗教が発展させた霊性【書評】

NHKで再放送されたドラマ「坂の上の雲」を見ながら、短期間で国民国家を形成した日本人の霊性について考えた。歴史学者の所功氏によると、その始まりは崇神(すじん)天皇時代の天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)の習合で、家族国家としての国の形が作られたという。「天皇の赤子」という素朴な感情が急速な国軍の編成を可能にし、それが多大な血を満州などで流すことにもなった。

『日本史 敗者の条件』呉座勇一著 歴史学者らしい鋭い見解【書評】

会田雄次『敗者の条件』(中公新書)という本がある。60年も前に刊行されたものだ。それを思い出した。

『検証 暴走報道』加藤文宏著 左派リベラルは死んだ【書評】

安倍晋三元首相の銃殺事件以来、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、政府から反社会的勢力と断定されている。

明治青年の人生哀切にー田山花袋『田舎教師』

田山花袋(たやまかたい)の代表作の一つ『田舎教師』の冒頭である。文学趣味を持ち向学心にも富みながら、結核を患い田舎の代用教員として短い生を終えた青年が主人公。日露戦争の時代を背景に関東平野の自然や風物を丹念に描きながら、主人公(林清三)の哀切な人生を浮かび上がらせている

路傍で疫病や悪霊防ぐもの

道祖神は村などの境界線に当たる道のそばに建てられた石碑で、「道祖神」という文字や像を刻んである。

「わらの文化 交流の集い」秋田県美郷町

昭和30年代ごろまで、秋田県内で広く見られた「わらの文化」の保存活動に取り組んでいる自治体がある。秋田県南部の美郷町(みさとちょう)だ。3月1日、第7回「わらの文化交流の集い」(同町教育委員会主催)が美郷町住民活動センターで開かれ、道祖神とわら文化の二つの講演に続き、約30人が参加し4本のわらだけで「編み南蛮」と「しおり」を作る体験講座が開かれた。

自伝にみる亡命生活の回顧 ロシアの思想家・ゲルツェン

ロシアの思想家ゲルツェン(1812~70年)一家が、祖国ロシアを後にしたのは1847年1月。3月下旬にはフランスのパリに着き、モスクワ時代の旧友たちと再会した。その後、イタリアを旅して翌年パリに戻ったが、臨時政府によって民衆が弾圧される「六月事件」を目撃して驚愕(きょうがく)し、西欧文明への幻想は消えてしまう。

【書評】『新聞記者がネット記事をバズらせるために考えたこと』斉藤友彦著  デジタル記事の可能性を探る

新聞記者(共同通信)が、人事異動でネット記事配信の担当になり、どうネットで読まれる記事を作るかを実践的な例を挙げながら紹介している。

【書評】『夢で出会った哲学者たち』野田啓介著 ソクラテスから道元まで

ニューヨーク在住の哲学者である著者が50年近く前、20代前半に見た五夜連続の夢をつづっている。学んでいる哲学者たちに会い、話をしたのだから、至福の時間だっただろう。

【書評】『隣の国の人々と出会う』斎藤真理子著 世界の謎の一端が解ける

著者は韓国文学の翻訳者。仕事は韓国語を読み、日本語で書くこと。その感触を、トンネルの中で二つの言語と自分がこだましている、と例える。

【書評】『地球スケッチ帖 第1集』川田きし江著 記憶と追憶の旅路

何ともすごい本である。見開きで左㌻にスケッチ、右㌻にその解説文、それが全部で54編収録されていて、しかも描かれている場所は、ともかくも地球全体。どうしてこの地点を選んだのか、いかにしてこの地点にたどり着いたのか。不思議と言えば不思議である。まさに「地球スケッチ帖」というだけある。

鎌倉アルプスー神奈川県鎌倉市

鎌倉の市街地を囲むように山々が包んでいる。その北東側に大平山(おおひろやま)や天台山があり、この尾根をたどるルートが天園ハイキングコースだ。家族連れに人気がある。多くの人たちは北鎌倉駅の南東にある建長寺から登っていくが、今回は尾根の南麓にある鎌倉宮から登り始めた

1000体のひな人形がお出迎え

春の訪れを感じる華やかな「春よこいひな祭り」が1日、座間神社(神奈川県座間市)で開催された。本殿へ続く77段の石段には、色鮮やかな1000体のひな人形が並び、参拝者をお出迎え。その光景はまさに圧巻で、訪れた人々を魅了した。

『過去と思索(4)』ゲルツェン著 商人が新しい世界の原型に【書評】

ロシア人作家の自伝的回想記で、この巻では1847年から51年まで、著者35歳から39歳までの出来事と、小論文が掲載されている。西欧に革命の嵐が襲った時代だ。

『海がつくった国際都市』加藤隆久著 神戸の歴史をたどる散歩【書評】

著者は、神社を支える44戸の神戸(かんべ)が神戸という地名の由来になった生田神社の名誉宮司。カラーグラビアに、神戸市垂水区の五色塚(ごしきづか)古墳から明石海峡大橋を遠望する写真がある。海上交通の要衝に4世紀後半に築造された兵庫県下最大の前方後円墳は、海との関わりが深い有力者の墓であろう。同古墳の整備・再現を構想した考古学者の坪井清足(きよたり)は、古代技術の粋を集めた五色塚古墳と現代技術の粋を集めた明石海峡大橋とを見比べられるようにしたのである。

『スパルタ』長谷川岳男著 古代ギリシアの強国の実態【書評】

古代ギリシア世界の一方の雄だったスパルタは「スパルタ教育」で知られる。日本では明治初期、この都市国家の名が伝わった。虚弱な男子は崖に捨てられた。30歳まで教育が続く。20歳~60歳の男は毎日の晩餐(ばんさん)が共同で行われた。

『ハンス・フォン・ビューロー』アラン・ウォーカー著 19世紀、ピアニスト・指揮者で活躍【書評】

ようやく我々は、本書によって、19世紀の音楽界を闊歩(かっぽ)したハンス・フォン・ビューロー(1830~94年)の全体像を掌握(しょうあく)することができる。ビューローは、ピアニスト、また指揮者として生涯3000回以上のコンサートを開いた。しかもコンサートにおいて自分の目の前に譜面を開かなかった。

スノートレッキング/秋田市・学習交流の森

キツネの歩いてきた道とカモシカの歩いてきた道が合流する――そんな場面に遭遇できるのが冬のスノートレッキングの魅力の一つだ。

関容子『銀座で逢ったひと』 中身の濃い「いい話」を満載

エッセイストの関容子氏が、タウン誌『銀座百点』に平成30年から3年半にわたり連載した『銀座で逢ったひと』が中公文庫から出た。文庫化に当たり池田彌三郎、野坂昭如、10代目坂東三津五郎の稿が増補された。

福島市 歌枕の地・文知摺観音を訪ねて

福島市内を南北に走る奥州街道(国道4号)を相馬街道(115号)へ東に折れ、少し行ったところに史跡名勝の地、文知摺観音(もちずりかんのん)がある。

年始客避け旅に出た漱石ー夏目漱石『草枕』

研究者によれば、漱石が五高(現熊本大学)の英語教師に赴任していたのは、明治29(1896)年4月から33年4月。そして、熊本からこの小説の舞台となる小天(おあま)温泉(玉名市天水町)に旅行に行ったのが、明治30年の12月末だった

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