デーリー・テレグラフ(英) 2009年11日9日
壁の崩壊と新欧州
戦後の欧州の歴史で最も記念碑的な出来事であるベルリンの壁崩壊が起きた発端を特定するのは歴史家の仕事である。しかし、ちょうど20年前の壁崩壊に至る道が、1978年にポーランドのカロル・ボイティワ枢機卿がローマ法王ヨハネ・パウロ2世になったこと、またポーランドでワレサ議長の下で独立自主管理労組「連帯」が誕生したことによって導かれたことは間違いない。
そしてロシアでは1985年にソ連共産党書記長となったゴルバチョフ氏がグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)を導入、その4年後の89年には自由化の波は阻止できない弾みを得ていた。5月にハンガリーのオーストリアとの国境が開かれてから多数の東ドイツ人が西側に脱出、11月にはベルリンの壁が破られた。これが転換点となって、欧州の共産主義は崩壊、東西ドイツは再統一し、ソ連は分裂するに至った。
それから20年。北大西洋条約機構(NATO)加盟国の4割は、元共産主義国家であり、そのいずれもが、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)に派兵している。そのうち10カ国は欧州連合(EU)に加入、さらに2カ国が加入候補国になっている。ソ連の残虐な強制支配によって、欧州大陸の西半分と切り離されていたこれらの諸国は、孤立から脱出したのだ。
しかし、この歴史的なプロセスには、由々しい挫折もあった。旧ユーゴスラビアの崩壊には恐るべき民族浄化が伴い、それは1995年にスレブレニツァで頂点に達し、大戦後、欧州で起きた最大の大量虐殺となった。旧ユーゴを構成した共和国のうち、現在、NATOとEUに加盟しているのはスロベニアだけだ。
ロシアではエリツィン時代のとどまるところを知らない混乱が、ウラジーミル・プーチン氏の下で、民族主義、取り巻きによる資本主義、それに、ないがしろにされる人権─という3つが混在するひどい状況を生むことを許した。そして旧ソ連の衛星国だった国々が現在の景気後退によって特に打撃を受けており、今年の国内総生産(GDP)は、平均すると6・2%のマイナス成長になるという。
しかし、こういった挫折も、この20年間に欧州が自由へ向けて大きく前進したことを覆い隠すことはできない。この自由には、政府を選び、政府を追放する自由だけではなく、広範なモノとサービスへの比類ないアクセスも含まれる。
われわれは昨日、第一次大戦の激戦地ソンムからアフガンのヘルマンド州まで各地で、民主主義の価値を守るために命を捧げた人々を追悼した。彼らの犠牲は、自由を当然のものと見なしてはならないことを想起させた。自由は静的な概念ではない。潮のように満ちたり引いたりする。間断なく監視する必要があるのだ。
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