デーリー・テレグラフ(英) 2009年7月15日
チェイニー氏の大失態
ブッシュ前米政権がかつては「テロとの世界的戦い」と呼んだものの一環として、チェイニー前副大統領が秘密暗殺チームを任命していたというニュースには、愕然とするが、驚くことではない。
なぜ愕然とするのかといえば、そのようなチームは、あからさまに違法性があり、必要な民主的手続きを意図的に回避したからだ。
しかしながら、それは驚きでもない。なぜならば、ブッシュ時代の大統領府がどのように機能していたかを知れば知るほど、妥当性からかけ離れたこうした行動が明るみに出てくることを予測できるようになるからだ。チェイニー氏はこの問題で弁護士を雇っている。彼を訴追すべきであるという要求が既にあるので、この弁護士の雇用は理解できる。
彼の支持者は、国家の安全保障が危機にあるときは、どんなことでも起きると論じるだろう。それは、水責めのような拷問を正当化しようとするなかで、持ち出された理屈である。米国が、文明化した価値を世界に広めるのが役割と自任する国であることを考えれば、そうした理屈は当時でさえ疑問だったし、いまも疑問だ。
その存在を知って直ちに、暗殺チームを解散させたパネッタ新中央情報局(CIA)長官は、その良識と誠実さを称賛されるだろう。暗殺チームは実際には作戦を一度も実行しなかった。そのことは、チェイニー氏の振る舞いをさらに滑稽なものにさえしている。パネッタ氏の行動は、暗殺チームのニュースで評判ががた落ちになるのは、米国自身というよりは、すでに信用を失っているブッシュ政権であることを明確にした。
安全保障が脅威にさらされたときに、向こう見ずな手段はしばしば必要かもしれない。オバマ政権は、パネッタ氏の行動によって、そうした手段は、全体主義国家や安っぽいスパイ小説から拝借するやり方ではなく、適切な説明責任をした上でだけ採用できるという重要なポイントを理解したように思える。
こうした活動のせいで、ブッシュ時代に米国の友人たちは米国に失望した。いま、尊敬を基礎に友情を維持することが再びできるようになった。
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