モスル奪還、宗派超え過激思想根絶を


 イラク軍は、過激派組織「イスラム国」(IS)から、同国北部の第2の都市モスルを奪還した。今後は、IS台頭の一因となった宗派対立をどのように乗り越え、国内をまとめていくかが課題だ。

3年で終わったIS支配

 アバディ首相はモスルを訪れ「イラク国民と領土を分断する試みを阻止した。虚構の国は失敗し、崩壊した」と同市の完全奪還を宣言した。

 2014年に短期間でモスルなどイラク北部からシリアにかけての地域を支配したISは、3年でイラク国内からほぼ駆逐された。最高指導者バグダディ容疑者がカリフ(預言者ムハンマドの後継者)制国家の樹立を宣言したモスルが解放されたことは、ISの掃討で大きな意味を持つ。

 ISはこの間、住民らの殺害、暴行、破壊行為を繰り返した。インターネットを駆使した戦闘員募集も奏功し、世界各地から志願者が集まったことも支配の強化につながった。

 ISはイスラム教の聖典コーランを都合よく解釈し、ムハンマドの言行録の預言を基に終末思想をあおり、支持者を集めることに成功した。預言実現のために殉教することで天国に入れると信じた戦闘員らにとって、自爆や戦闘での死亡は恐ろしいものではなかったのだろう。

 イスラム教徒が圧倒的多数のイラクは、イスラム教の中では少数派のシーア派が多数派を占める。イラク戦争前のフセイン独裁体制の下、国内で少数派のスンニ派が国内を支配し、シーア派が苦汁をなめてきた。その反動か、イラク戦争後のイラク政府はシーア派が支配、スンニ派が排斥されるという逆の現象が起きていた。

 スンニ派のISが急速にイラク北部で台頭したのは、スンニ派住民の政府に対する不満を吸収することに成功したのも一因だ。シーア派支配の政治を今後も続ければ、再び過激思想がはびこり、惨劇を生む可能性がある。それはイラク国民自身が最も望まないはずだ。

 モスルの戦闘では数千人の民間人が死亡したとみられ、200万人と言われた住民のほぼ半数が家を失い避難民となった。イラク政府には今後、IS残党の掃討とともに、奪還した地域の復興という大きな仕事が待ち構えている。

 さらに、若者らの教育にも配慮すべきだ。イスラムの宗教学校マドラサで過激な思想教育が行われている例は数多く指摘されている。

 アバディ政権は、シーア派、スンニ派、さらには少数派のキリスト教徒、スンニ派クルド人らが共存できる国家の建設を目指す必要がある。また、シーア派国家の隣国イランは、IS掃討後のイラクでの影響力確保を狙っているとみられており、警戒が求められる。

 新たな国家建設の機会に

 モスル奪還は、イラク軍だけでなく、米軍主体の有志連合、シーア派、クルド人などの民兵組織が協力して成し遂げた成果だ。イラクは03年にフセイン政権の独裁から解放された。IS掃討を、宗教・宗派、民族を超えて国民が共存できる国家を建設する新たな機会とすべきだ。