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「国家能力が先か、民主化が先か」


韓国紙セゲイルボ

二つの要因が共にあった韓国の発展

 最近、世界的に権威ある学術誌『ガバナンス』に載った「まず国家、それから民主主義」という論文は民主主義と国家能力に対する長い間の論争をいま一度喚起させてくれる。

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ソウルの光化門広場で行われたろうそくデモ2016年11月19日(撮影・岸元玲七記者)

 同論文が紹介するように、今日多くの社会科学者が国の発展にはそれを裏付けるための国家制度が備わっていなければならないということに同意する。国家制度の最も重要な二つの要素として「国家能力」と「民主主義」を挙げる点でも異見はない。ただし、見解の差が縮まらない問題がある。どちらが先に制度化されるべきか、つまり“前後”の問題だ。

 一部の学者は「国家能力が先」と主張してきた。国の発展には国家の権力行使機能が必要だ。国民一人ひとりを国家政策に順応させる全領土にわたる行政能力である“執行権力”を民主主義に先立って備えなければならない。『文明の衝突』の著者サミュエル・ハンティントン教授が主張したように、このような制度的条件が揃(そろ)わない状態で民主化から先に進んでしまう場合、国の発展には困難が伴う。

 別の一部学者は反対に、「民主主義が先行すべきだ」と主張する。民主化されない状態で国家能力だけを育てれば、権力乱用は必然的だと見ている。牽制(けんせい)されない国家の権力行使によって、豊富な資源があるにもかかわらず、いわゆる“搾取国家”に転落した例を南米とアジアで探すことは難しくない。経済成長が進んでも民主主義はむしろ後退する場合が少なくない。三権分立、周期的な選挙、報道機関と結社の保障など、国家権力の牽制に必要な民主主義の制度化が先行しなければならない理由である。

 ところでこのような形の“前後”論争には二分法的な単純化の問題がある。一つが先立って制度化された後にもう一つが続くという形だ。しかし実際の社会現象はこのようには展開しない。二つの要因間に意味ある比重差はあっても、たいてい混在されているはずだ。

 今日多くの国内外の社会科学者は国家能力がまず制度化された後に民主主義もなされた代表的な国として韓国を挙げる。さまざまな歴史的要因、そして現代史では韓国動乱とその後に続いた南北の競争が主要因になった。強力な行政能力を備えた国家が経済成長政策を効果的に遂行でき、経済成長がある程度の水準に達した1980年代末に民主化も実現することができたということだ。

 しかし、そもそもこのように速い経済成長が国家権力を牽制する能力がない状態で成り立ったのかというのも疑問だ。時代により牽制能力に浮沈はあったものの、韓国で民主主義が最も抑圧された15年間(維新~第5共和国)ですら権力をいくらか牽制する民主主義の底力は続いていた。

 この底力が国家権力の行使者をして私益より国益をより追求させる制御装置として機能したし、韓国型「発展国家」も制度化することができた。そうだとすれば、世界の人々が認める今日の韓国の発展はいわゆる“産業化勢力”と“民主化勢力”のどちらか一方だけでなく、二つの勢力が共にあったから可能だったと見なければならない。

 今でも韓国の国政運営はドイツと日本よりはフランス型により近い。世界的なトレンドのせいなのか、最近の韓国社会はますます理念的に極端化しつつあるようだ。政略的に利益になるからなのか、政治家が極端な支持者をさらに刺激して煽(あお)り立てる姿も見られる。

 「国家能力対民主主義」あるいは「産業化対民主化」間の二分法でない相互尊重と包容が可能になる時、韓国はフランスを越えることができるはずだ。

(鄭用徳(チョンヨンドク)ソウル大名誉教授、3月4日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

ポイント解説

政権にやんわり釘刺す論法

 「開発が先か、民主化が先か」の論争がいまだに韓国では続いている。いわゆる軍事政権が財閥を中心にして強力に経済成長を牽引(けんいん)し、国民経済が一定水準に達した土台の上で「民主化」が成功していったことは誰も否めない。
 だが、現在の「ろうそくデモ」という“民主革命”で政権を奪取した左派政権は「積弊の清算」として、過去の軍事政権が行ってきた「民主化弾圧」を一つ一つ穿(うが)り返して、裁こうとしている。そのターゲットは「漢江の奇跡」という経済成長を引っ張った朴正煕大統領であり、彼をはじめとする軍事政権だ。いずれも反共で日米との同盟を支持していた。

 つまり「積弊清算」とは政治的な反対勢力を叩(たた)きつぶすための方便なのだ。政権にやんわりと釘(くぎ)を刺している論法に、この国の学者の物言いがにじみ出ている。