ノーベル文学賞は国民の文化水準で決まる


韓国紙セゲイルボ

 英国のオンライン賭博サイト「ラドブロックス」は最も有力なノーベル文学賞候補にケニア出身の作家グギ・ワ・ジオンゴを挙げた。2番目は日本の作家村上春樹。カナダの女性作家マーガレット・アトウッドが3番目だ。

 ノーベル文学賞について、われわれが忘れていることがある。賞を受けるためには国民が常に本に親しみ、普段から教養と文化に関心を傾けなければならないという点だ。文学賞は国家の政策により決定されるのではなく、国民の文化水準により決定される。

 昨年、米国の文学評論家マイティリ・ラオがニューヨーカー(オンライン版)に寄稿した。「韓国の作家は政府の積極的な支援でノーベル文学賞を受けることができるだろうか」というコラムで、韓国が文盲率2%の非常に“博識な”国だけでなく、1年に4万冊の本を出版する文化国家だとまず暗示し、それでもノーベル文学賞を受けた作家は1人もないと皮肉った。

 ラオの指摘の通り、韓国人は本を読まないことで有名だ。統計庁の調査では、2015年に国民1人が読んだ本の数が9・3冊だった。雑誌や実用書がほとんど。本を読まない最も重要な理由は必需品になったスマートフォンやタブレットPCのインターネット使用のためだ。本を読まず過度にインターネットに依存すれば、批判的に考え創意的に考える機能が衰退する。

 最近、脳科学者は過度にデジタル機器を使えば、背側面前頭葉皮質の量が減少するという事実を明らかにした。一方、本を読めば読むほど言語や記憶力を管掌する側頭葉が発達するという。

 つまり、本を読まずにデジタル機器に過度に依存すれば、ノーベル賞は諦めて、自分でも知らないうちに“デジタル認知症”にかかるのかもしれない。

(金旭東(キムウクトン)西江大名誉教授、文学評論家、10月2日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。