親孝行条例


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 ロシアの作家ツルゲーネフの逸話だ。ある日、狩りから戻って庭園をぶらついていた。猟犬が何かを見つけ、息を殺して密(ひそ)かに這(は)っていくので、猟犬の前の方をよく見ると、ふわふわした産毛の雀の雛(ひな)が1羽いる。巣から落ちた雛はできたばかりの羽根の付け根を不憫(ふびん)なほど動かしている。猟犬は雛の方に近寄った。その時だ。突然、木からさっと親雀が飛んできて雛の前に舞い降りた。親雀は毛を逆立ててジュクジュクジュクと鳴きながら猟犬の鼻先を目指して突進した。ぴょんぴょん跳びながら2回も犬の口先を攻撃するのだ。かわいそうに親雀は全身をぶるぶる振るわせたかと思うと芝生の上に頭を打ちつけて気絶した。

 突発的な事態に驚いた猟犬はしっぽを丸めはじめた。あれほど猛々(たけだけ)しく勇敢だった猟犬も雛を救おうと命懸けで挑んでくる親雀の母性には勝てなかったようだ。ツルゲーネフは猟犬を呼び寄せ、その日から狩りをやめた。彼は後に「愛は死よりも、いや死の恐怖よりも強いということを親雀から学んだ」と回顧した。

 単なる動物でも母の愛はこれほど格別だ。その愛の力によって地上の存在は数億年も生命を引き継いでいく。ユダヤ人の諺(ことわざ)に「神は随所にはいられないので母たちを創った」という言葉がある。父母の愛は十分に神的だ。海より深く天より高い。だからこそ釈迦はいち早く弟子たちに向かって「子供が左肩に父、右肩に母を背負って須弥山(仏教で世界の中心にそびえるとされる山)を百千回回り、肉が擦り切れ骨が露わになっても父母の恩に報いることはできない」と言ったのだ。

 そんな親子の間の愛が以前ほどでなくなったのが今の世の中だ。中国では親孝行を強制する条例まで誕生した。上海市は親と別居する子供が定期的に親を訪問するよう義務化する条例を制定し、来月から施行する。条例によると、子供が訪ねてこず寂しく感じる親は子供を提訴できる。裁判官はその間の事情を調査して子供に親を訪問するよう命令できる。裁判所の命令を受けても親を訪ねて行かなければ、金融取引上の信用が下落して信用不良者になることもありうるとか。

 東洋の美徳である親孝行まで強制する世相がうら悲しい。いくら法治の過剰だといっても、愛は法で強圧する対象ではない。愛の中でも一番強い親子の間の天倫ならいうまでもない。海と空のような愛を小さな法の網に押し込めることがどうしてできようか。法の枠の中に“須弥山”はない。

(4月13日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。