分裂した朝鮮時代の「党争」を反面教師に


韓国紙セゲイルボ

 総選挙公認をめぐり与野党を問わず派閥分裂が絶頂に達している。与党セヌリ党の政治家に対しては「親朴」「非朴」「親朴」「親李」だけでなく「親劉承★(ユスンミン)系」「親金武星(キムムソン)系」という用語が公然と飛び交っている。

 野党の「共に民主党」も例外ではなく、「親盧」「非盧」「親文」に続き「親金鐘仁(キムジョンイン)系」という分類もあって、国民の党もやはり派閥分裂から自由ではない。

 朝鮮時代に本格的に始まった「党争」でも派閥内分裂が起きた。党派争いの開始は宣祖(ソンジョ)代の1575年に始まった「東人」と「西人」の分党だった。朝鮮時代の党派中、内部分裂が最も激しかった政派は「北人」だ。北人は東人から「南人」と北人に分かれた政派で、1588年の「宣祖修正実録」に記録がある。

 北人は特に自らの分裂も多かった。初めは「大北」と「小北」に分かれ、大北はさらに「骨北」と「肉北」に分裂していた。

 大北内では骨北と肉北に分かれた。小北内では柳永慶を支持する「柳党」と南以恭(ナムイゴン)を支持する「南党」の分裂が起きた。派閥が力をつければ、自派からしか登用しなかったことを史管が批判している。

 総選挙を控えて主要政治家を中心に各政党が分裂する様相を見せている。このような派閥分裂では国民は眼中にもない。各党は、分裂を繰り返し短命に終わった北人の事例を反面教師としなければならないだろう。

(申炳周(シンビョンジュ)建国大教授・史学、3月30日付)

★=日へんに文

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。