韓国救ったフリート在韓米八軍司令官


韓国紙セゲイルボ

新たな国定教科書に記載を

 韓国の教科書に長らく載っていたものの消えてしまった人物がいる。ジェームズ・ヴァン・フリートだ。韓国動乱の時の在韓米八軍司令官だった。同大将は戦況を逆転させ、危機に瀕した韓国を救った。

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 泰陵陸軍士官学校には、彼の汗とビジョンが浸み込んでいる。学校建設費を調達するために米国の知人らを対象に募金運動をした。米工兵隊の資材を士官学校に流用して告発され、米議会聴聞会で釈明まで行った。

 米ウェストポイントの教育担当だった婿に要請して、教育プログラムを導入、士官学校に定着させた。校庭には彼の銅像が立てられている。

 丁一権(チョンイルグォン)、白善燁(ペクソンヨプ)、張都暎(チャンドヒョン)、朴正煕(パクチョンヒ)などは彼の支援で米参謀学校などへ留学した。また野戦訓練司令部などを設置して中間幹部を育てた。李承晩(イスンマン)大統領は彼を「韓国軍の父」と呼んだ。

 除隊後も彼は韓国を忘れなかった。1960年代初期、韓米関係がギクシャクすると仲裁者となった。ジョン・F・ケネディ大統領に朴正煕を紹介し、韓国政府に韓米関係の解決法を助言した。韓国政府が米国から資金を引っ張ることができたのは、彼が水面下で支援してくれたお陰だ。

 1962年5月、米企業の28人で構成された投資使節団を率いて「蔚山工業団地」を訪問した。蔚山が今日、世界的な工業都市になった裏面には彼の寄与が大きかった。また済州島に農場を設立、テキサス牛を送って飼育し、戦後復興事業で住宅建設も推進した。

 廃虚同然だった梨花女子大、中央大、京畿女子高などにピアノを送った。戦争孤児の「足長おじさん」でもあった。米団体から衣類、食料を調達して、両親を失った子供たちの世話をした。

 ヴァン・フリートのことは1955年から韓国の教科書に載っていたが、73年以降、消えてしまった。50代半ば過ぎの人々はヴァン・フリートが「ノブレスオブリージュ」の典型だということを十分に知っているが、それ以後の世代は彼の名前を知らない。

 韓国政府が中高校国定教科書執筆陣を決めて編纂(へんさん)を始めた。新しい教科書に韓国現代史に軌跡を残したヴァン・フリートは必ず記録されなければならない。

(韓容杰(ハンヨンゴル)論説委員、2月4日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。