「不通」の影濃厚な朴大統領


韓国紙セゲイルボ

誤り防ぎ知恵広げる「疎通」を

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国の朴槿恵大統領=7月、韓国・世宗(EPA=時事)

 世宗(セジョン)(1397~1450年、朝鮮第4代国王)は疎通の達人だった。臣下の話にいつも聞く耳を持った。明らかな懸案であっても、臣下の意見を聞いた後に決定を下した。

 ある時、刑曹参判(司法長官に相当)の高若海(コヤッケ)が御前会議で世宗と言い争いをし、「本当に残念です。殿下(王)が正しく見ることができずに、どうして臣が朝廷に奉職できますか」と大声を張り上げた。

 無礼はここで終わらなかった。「私の話を受け入れもせず、むしろ臣が誤っているといわれる。真に失望です」とし、高若海は席を蹴って出て行ってしまった。臣下らの面前で王を愚弄したわけだ。

 民主化した現在でも、大統領や財閥会長の前でこうした無礼を働いたとすれば、多分地位は保ちにくいだろう。だが世宗の対応は違った。「高若海に罰を与えれば、王が臣下の諌言(かんげん)を嫌うという誤解が生じる」として不問に付した。

 疎通は凡人を偉人にする。世宗は疎通が王の誤りを防いで知恵を広げると考えた。事実、彼の偉大な政治も卓越した疎通能力のおかげということができる。

 疎通の知恵を胸に刻まなければならない人は朴槿恵(パククネ)大統領である。朴大統領には不通の影がまだ濃厚だ。国民は国政遂行の最大の問題点として「疎通不足」を挙げる。

 もちろん大統領自身も努力はしている。規制改革の最終討論を行って民意を聞く。だがこういうイベント性討論では効果を上げにくい。

 問題の本質は彼女の一方通行式の疎通だ。閣議や首席秘書官会議で既にまとまった自分の主張を述べるだけだ。意見交換のない会議は疎通ではない。独白にすぎない。

 主権者である国民に対しても同じだ。朴大統領は就任後1年8カ月の間で国民の前に立ったのは3度きりだ。当選後1年間に李明博(イミョンバク)前大統領の15回、盧武鉉(ノムヒョン)元大統領の18回と比べるとあまりにも少ない。

 朴大統領は就任の辞で、「私たちは新時代の出発点に立っている。その道を成功裏に行くためには政府と国民がパートナーの道を歩いていかなければならない」と宣言した。この確約はどこへ行ったのか。

 大統領は初心に帰って、自問しなければならない。「私は『国民と共に』道を歩いているのか?」と。大統領の前には国民統合と民族統一の遠い道が置かれている。その道を行こうとするなら国民と共に歩かなければならない。大統領は歩き方を変えなければならない。

(ペ・ヨングク論説委員、10月23日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。