ローマ法王訪韓と映画「鳴梁」


韓国紙セゲイルボ

国家の危機を前に党派争い

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ソウル光化門広場に立つ李舜臣将軍の銅像(Wikimediacommons/Brucke-Osteuropa )

 セウォル号特別法の国会通過は五里霧中にあり、巻き添えを食っている民生法案の審議も止まったままだ。

 その渦中にフランシスコ法王が韓国を訪問した。光化門で開かれた殉教者124位施福式を挙行するなど、4泊5日間、連日「ビバ、パパ」の叫び声が響いた。

 一方、壬辰倭乱(文禄の役)の李舜臣(イスンシン)将軍の英雄物語を扱った映画「鳴梁(ミョンニャン)」が観客動員数1600万人を突破し、韓国映画の記録を塗り変えている。遠からず総観客数でも「アバター」を超える見通しだという。

 礼儀というものは常に適当なのが良い。朴槿恵(パククネ)大統領は法王を空港まで行って出迎えた。国家元首が法王をもてなす国は珍しい。明洞聖堂で開かれた「平和と和解のためのミサ」にも大統領は参加した。

 大韓民国国民は法王をあたかも救いのメッセージでも持って来たように持ち上げたが、彼が特別に韓国のために、例えば統一要求や核廃棄など平和要求などの発言をしたことはない。法王が到着する直前と直後に北朝鮮は短距離ロケット5発を発射している。

 法王訪韓中に筆者は全南求礼を訪ねる機会があった。李舜臣将軍の白衣従軍の道を現地調査することになった。求礼白衣従軍道は山茱萸(さんしゅしゅ)始木地から始まった。そこには李舜臣の行跡と「乱中日記」に出てくる有名な一節が展示されていた。

 「湖南なくば国家なし」。歴史に仮定はないが、当時、全羅左水営の李舜臣がいなかったら、朝鮮は日本に完全に占領されたかもしれない。

 今の状況は「湖南あっても国家なし」である。韓国が経済協力開発機構(OECD)に入ったというが、果たして米国がなければ大韓民国が維持できるだろうか。「米国なくば国家なし」だ。

 鳴梁海戦は李舜臣が12隻の船で倭船約300隻をはねのけた、歴史上例を見ない海戦だが、戦後、朝鮮のソンビ(知識人)らには反省もなかったし、対策もなかった。戦争前と同じように党派争いを繰り返していた。

 李舜臣の偉大性は日本の学者の研究によって世界化された。日本の圧倒的な水軍がどうして一介の将帥李舜臣に敗れたかを研究し、彼の勝利は世界海戦史上その類例がなかったということを明らかにする。

 李舜臣の名言で、今日のわれわれが再確認しなければならないのはこれだ。「国は危機に瀕(ひん)しているのに無駄に目の前の利益にだけとらわれている」

(朴正鎮〈パクジョンジン〉客員論説委員・文化評論家、8月26日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。