朴趾源の国際政治読法に学ぶ、米中との共存が時代精神


韓国紙セゲイルボ

 先日訪韓した習近平中国国家主席は韓国のアジアインフラ投資銀行への参加を要求して米国の反発を買い、光復節・抗日戦争勝利70周年韓中共同記念式開催を提案して、日本を圧迫した。これらは韓中関係の方向に釘(くぎ)を刺そうとするもので、北東アジア新秩序作りの外交折衝戦の一環である。

 G2(主要2カ国)の米国と中国の間に挟まった韓国は身動きの幅が狭まったことを新たに悟ることになった。どう対応するのか深刻に悩む時だ。

 最近のこうした北東アジア情勢を見ると、燕巖(ヨナム)・朴趾源(パクジウォン)(1737~1805)の時代が思い出される。「仁祖反正」(光海君を追い落としたクーデター)以後、執権勢力は2度、胡乱(女真族・清国からの侵略)を体験したことで、「北伐」(女真・清への反撃)を支配理念としていた。

 だが、理念よりも実利を重視する朴趾源を座長とする北学派が主流になると、清国は「討伐対象」ではなく「学習対象」に変わった。今日の北東アジアで脱冷戦時代の新しい秩序を模索する動きと似ている。

 朴趾源は1780年、清国の乾隆帝喜寿の祝いに派遣された使節の非公式随行員として遼東・山海関・北京を経て、承徳(旧熱河)まで各地を見回った後、「熱河日記」を出した。

 朴齊家(パクジェカ)が書いた「北学議」の序文で朴趾源は「将来、学問をしようとするなら、中国を習わずしてどうすべきか」とし、「法が良くて制度が美しければ、蛮夷といっても堂々と手本としなければならない」と強調した。

 (蛮夷である女真族が建てた)清国の新しい文物の長所を受け入れてこそ、遅れた朝鮮が富強になりえるという主張だ。その時期、世界最強国だった清国が国際秩序を導いていくということを見抜いたものだ。

 今日を見ると、今や実利外交、均衡外交に力を傾ける時になっている。(米国か中国かの)二者択一ではない、両者との共存が時代精神だ。ならば、1世代、1世紀先を見通せる方向感覚を持って、外交懸案に戦略的に臨み、活動空間を広げなければならない。

 国政責任者や政府当局者だけのことではない。われわれの社会構成員がこのような認識を共有してこそ、正しい判断と実践が可能になる。

 さらに周辺国らとのネットワークを活性化して、新しい文明標準を作って周辺国らを引っ張っていくことができるビジョンを提示しなければならない。

 燕巖・朴趾源に学ぶ点が多いのである。

(朴完奎〈パクワンギュ〉企画・オンライン担当副局長、7月26日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。