ならば金日成も「親日派」だ!


韓国紙セゲイルボ

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左翼団体からの執拗な「親日教科書」攻撃で、採択ゼロの危機にある韓国教学社出版の「韓国史」

 大韓民国臨時政府主席だった金九(キムグ)は、「日帝強制占領(日本植民地)期間に朝鮮に残っていた人々は皆監獄に行かなければならない」と言った。果たして金九の言葉は正しいだろうか。

 韓国の自称進歩主義者らは大韓民国開国の功臣の相当数を親日派として断罪した。3・1独立宣言を起草した崔南善(チェナムソン)も、愛国歌(現国歌)を作った尹致昊(ユンチホ)も、韓国動乱の2人の英雄・白善燁(ペクソニョプ)と金白一(キムペギル)将軍も、国を富強にした朴正煕(パクチョンヒ)大統領も親日派と断定する。日帝時、日本軍や公務員として服務した前歴と賦役あるいは屈服が理由だ。

 一世代を超える長い歳月、変節せずに独立運動を行った人は当然尊重されなければならない。だが、亡国初期の1年の間に、抗日独立運動に参加した国民は総人口の1・1%にすぎない。98・9%は独立運動をできなかったり、しなかったという統計だ。日本軍慰安婦や勤労挺身隊に行って搾取に遭った植民地女性らのように、皆が被害者であり反逆者であるわけだ。

 従北左派は北朝鮮の金日成(キムイルソン)を独立の闘士とだけ信じている。だが「親日派ゲリラ」民族問題研究所の定規で見れば、金日成も親日派だ。後日、副主席まで歴任した金日成の実弟・金英柱(キムヨンジュ)は1932年、満州国に投降する。「必ず代を引き継ぎなさい」という母の遺言に従うために金日成が勧めた。金英柱は日帝の関東軍通訳(憲兵補助員)として勤め、8・15光復(解放)を迎えた。

 金日成政権の初代内閣と軍部など主要核心幹部中16人も親日派だ。初代人民委員会常任委員長を務めた金日成の大叔父・康良”(カンヤンウク)は日帝時、道議員だった。内閣副首相・洪命熹(ホンミョンヒ)は李光洙(リグァンス)などと共に戦争費用調達のため臨戦対策協議会で活動した。司法部長・張憲根(チャンホングン)は中枢院参議出身で、保衛省次官・金正済(キムジョンジェ)は楊州郡守を務めた。空軍司令官リ・ファル、人民軍9師団長ホ・ミングク、人民軍技術副師団長カン・チウなどはみな名古屋航空学校を卒業した日本軍将校出身だ。

 一方、大韓民国初代政府は上海臨時政府大統領を務めた李承晩(イスンマン)大統領、臨時政府内務総長だった李始栄(イジヨン)副大統領、光復軍参謀長を歴任した李範錫(イボムソク)国防長官など、全員が臨時政府や光復軍出身者で構成された。ただ一人の親日派出身もいない。

 それでも従北左派は後日、反民族行為特別調査委員会解体と親日者を登用したとして李承晩を罵倒する。被害者同士で非難し合っている間に、加害国は別の企みを……。

(趙貞鎮〈チョジョンジン〉論説委員、1月23日付)