チベット動乱60年、宗教や文化の抹殺は許されぬ


 チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世ら多数のチベット人が、インドなどに亡命するきっかけとなった1959年のチベット動乱から60年が過ぎた。

 この間、中国政府は一貫してチベットの言語や宗教を抑圧してきた。チベット人の人権を侵害し、独自の宗教や文化を抹殺する政策は決して許されない。

「中国化」を急ぐ当局

 中国人民解放軍は51年にチベットの中心都市ラサに進駐。59年3月10日、ダライ・ラマが中国側に拉致されるという疑念を抱いた市民が軍を相手に蜂起し、軍が反撃する中、身の危険を感じたダライ・ラマはラサを脱出してインドで亡命政府を樹立した。

 亡命政府は外交と防衛以外の分野で独自の決定権を持つ「高度な自治」を要求し、中国との対話を求めているが、中国は応じていない。少数民族の独自性を軽視する横暴な姿勢だと言うしかない。

 中国はダライ・ラマを「分裂主義者」と非難し、チベット人の宗教活動に対する統制を露骨に強めている。チベットでダライ・ラマの写真を所持することは禁じられている。

 チベットでは文化大革命の時代に、6000以上の寺院と膨大な数の宗教芸術品が破壊された。現在でも僧侶に対する「愛国再教育」を行うなど思想改造に躍起になっている。ラサ市長(チベット族)は「寺院管理の主導権は党と政府が掌握」「大型の宗教活動の日数と参加者を10%以下に削減」という方針を明言。「暴力テロ、民族分裂活動、宗教過激派を断固として打破する」としている。

 信教の自由を踏みにじる中国の政策は許し難い。チベットでは2008年、ラサなどで多数のチベット人が弾圧された騒乱が起きた。また09年以降、中国の統治に抗議するチベット人の焼身自殺が相次ぎ、死者は100人を超えている。

 一方、中国はチベットにおける経済の発展を強調し、チベット統治を正当化している。18年の域内総生産(GDP)は前年比9・1%増で、伸び率は貴州省と並び、31の省・自治区・直轄市で首位となった。

 かつては「秘境」とも言われたチベットだが、00年に「西部大開発」戦略が打ち出されると、鉄道や道路などインフラが急速に整備され、大量の漢族移民が流入した。しかし、経済力に勝る漢族とチベット人との間の格差などの問題が生じている。さらに、中国当局は大量の教師を派遣してチベットでの中国語教育を強化し、言語・文化面の「中国化」を急いでいる。

 こうした同化政策は他民族の存在の否定につながるものだ。中国は、チベット亡命政府のロブサン・センゲ首相による「チベット文明を地上から消し去ろうとしてきた」との批判を受け止めるべきである。

国際社会は批判強めよ

 同じようなことは、ウイグルでも行われている。100万人以上のウイグル人が収容所に入れられ、イスラム教などのウイグル文化を捨てて「中国化」するまで洗脳されるという。国際社会は弾圧を受けた当事者の証言などを発信し、中国の民族政策への批判を強めるべきだ。