2012年6月19日
妙好人の真実
佐々木 正著
平等の慈悲を生きた人たち
妙好人とは浄土宗や浄土真宗の在家の篤信者で、江戸から明治時代にかけて、言行を称えられた人たち。
讃岐の願船は、帰宅したところ、泥棒が食べ残しを食べているのを見て、これもご縁だからと、梅干しを取り出し、腹一杯食べさせた。後日、その泥棒を捕まえた警官に証言を命じられたが、お客さんだからご馳走したと答えた。それを聞いて泥棒は改心したという。
「微塵ほどよきことあらば迷うのに まるで悪うてわしが仕合せ」という歌を残した豊前の新蔵のような人もいるが、大半は周りの人に記憶され、語り伝えられたもの。
著者は講などを通し、水平に広がった念仏の特徴を見る。仏教の持つ平等の慈悲を、初めて教義として確立したのが法然で、親鸞はさらにそれを徹底させた。それが、万人を救おうとされる阿弥陀仏の本願に帰依する、他力の教えだ。
著者は長野県塩尻市にある真宗大谷派萬福寺の住職で、平安末期から鎌倉の絶望的な混乱の時代に生まれ、日本仏教の革命を起こしたのが法然の浄土宗だとする。
法然の弟子になった武士の一人が熊谷直実。多くの人を殺したことから死後の問題を聞くと、「罪の軽重をいわず、ただ念仏だにも申せば往生するなり」と言われ、涙を流している。
知恵を称えられた法然が晩年、自らを「愚鈍の身」と、親鸞が「愚禿親鸞」と自称したように、他力は自身の悪の自覚によってもたらされる。
自分に絶望することで、阿弥陀仏に身を委ねることができるからだ。それは、自然に生かされている自分という、日本人の感性とも共鳴し、深く浸透していったのだろう。
だからと言って、悪をしてもいいというわけではない。過去については「縁」として受け止め、善悪の判断を中止するが、これからについては「縁」の言葉は使わず、自らの責任とする、という著者の考えこそ他力の神髄だろう。
高嶋 久
(本紙掲載:6月17日)