2010年5月30日
“拉致監禁”の連鎖(72)
医師・小出浩久さんの手記(22)
有田芳生氏からの取材依頼
受諾以外に選択の余地なし
有田芳生氏
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7月に入ると間もなく、宮村氏から「有田芳生と週刊文春の記者がそちらに取材に行きたいと言っているが、どうか」という電話が入りました。
私は、有田という人物が、共産党を除籍処分されたとはいいながら、いまだ隠れ共産党員とも言われ、雑誌やテレビのワイドショーで統一教会批判を執拗に続け、荒稼ぎしていることを知っていました。
<有田芳生氏は立命館大学経済学部卒業後、日本共産党系の新日本出版社に入社。1984年に退社してフリーになり、「朝日ジャーナル」(現在、休刊)や「週刊文春」誌上で「霊感商法」や統一教会批判の記事を執筆。桜田淳子さんや山崎浩子さん(のちに脱会)らが参加した92年の統一教会の合同結婚式以降、テレビのワイドショーなどに統一教会批判を売りにするコメンテーターとして頻繁に出演してきた>
有田氏から取材を受けることについて、本当は気が進まなかったのですが、もちろん「嫌です」とは言えない立場でした。
偽装脱会中の私は、宮村氏の支配下に置かれ自由ではありません。宮村氏を批判するだけで脱会の意思が偽装と疑われ、どんな制裁が待ち受けているか分からない時だったのです。取材を受けるか、受けないかを選択できる余地はなく、打診であっても「受ける」と答える以外ありませんでした。
しかし、このころ漠然とでしたが、自分の今の立場も神から召命されたものではないか、と感じるようになっていました。そして、有田氏に会うのも反対派を知る良い機会かもしれない、ととらえました。
間もなくして、有田芳生氏と文春の記者が山荘までやってきました。彼らは、私がどのような状況で統一教会に入信し、どういう信仰生活を送り、そしてどうして脱会したのかを一通り取材しました。また、一心病院と統一教会との関係についても聞かれ、合わせて3、4時間ほどの取材を受けました。
有田氏の質問の中には、私や家族のプライバシーにかかわることもあり、答えたくないことが多くありました。それでも取材は、有田氏が書こうとするストーリーに話を合わせなければならず、事実を曲げて答えざるを得ないこともありました。一心病院のことも執拗に聞かれましたが、医者として知り得たことの“守秘義務”があり、応答はそれを守ることだけで精いっぱいでした。
<有田氏は宮村氏に対し「統一教会問題の『同志』」(有田芳生のホームページ「酔醒漫録」2006年9月17日付)と書くほど昵懇の間柄を誇る。小出氏の存在については、2人が統一教会について情報交換する中で出てきて、宮村氏が取材の便宜を図る確約をしたのだろう。宮村氏が取材手続きの一切を取り仕切り、有田氏も任せたことから見ても、両氏の密な関係は明らかだ。既に2人は少なくとも93年当時から、反統一教会活動で連携し、共通利益を目指すほどの仲だったことがうかがえる。
宮村氏が取材対象の元信者を提供する。有田氏が反統一教会感情を増幅させる記事を書き、結果的に拉致監禁の標的を増やす。そのことで宮村氏の強制脱会を行う機会も増える。そうした持ちつ持たれつの関係からも、「同志」の意味がおのずと理解できよう>
(「宗教の自由」取材班)