暴力を肯定、人心掌握にたける

手本はスターリン?−フセイン大統領

 「冷酷で残虐。行動が読みにくい」−−。イラクのフセイン大統領について語る言葉は数多い。イラク問題専門家や大統領の知人らの分析や証言を拾っていくと、国家支配のために「暴力」や「恐怖」を利用することを肯定する一方で、人心掌握にもたけた人物像が浮かび上がってくる。

 大統領は一九三七年、イラク中部のティクリット近郊で生まれた。ティクリットのあるサラフッディーン州は当時、イラクで最も貧困層の多い地域だったが、生家はその中でも極貧の農家だった。出生時、既に父親はおらず、継父に長い間虐待されたといわれる。

 在英の中東問題専門ジャーナリスト、サイド・アブリーシュ氏は近著「サダム・フセイン−復しゅうの政治学」の中で、フセイン大統領が政権掌握後、貧困の極みにあった同郷出身者を政権幹部に据えたのは、王政時代まで特権を享受したエリートのイラク人への“復しゅう”だったと位置付ける。

 同大統領が古代バビロニア王のネブカドネザルなどに並ぶ指導者として自らを喧伝(けんでん)するのは有名な話だが、その統治手法は、政敵を徹底的に粛清した旧ソ連の独裁者、スターリンを強く意識していたとの指摘もある。就任直後の同大統領と会見したクルド人政治家は、執務室にスターリンに関する大量の本が並んでいたと証言している。

 しかし、アラブ世界では時として、同大統領の人心掌握にたけた一面だけが強調される。八○年代、イラクに出稼ぎに来たエジプト人にはフセイン大統領を極めて好意的に評価する人が少なくない。イラクは当時、アラブの出稼ぎ労働者を社会保障面などで自国民以上に優遇、治安組織のメンバーに採用することもあった。イラク問題専門家は、こうした政策は「アラブの団結」を演出するためのもので、出稼ぎ労働者を冷遇したペルシャ湾岸諸国には見られなかったことだと指摘している。(カイロ時事)



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