暴力否定し政治参加を 元駐米アラブ連盟大使 フセイン・ハッスーナ氏(上)


2014世界はどう動く
識者に聞く(8)

ムスリム同胞団

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フセイン・ハッスーナ 英国ケンブリッジ大学卒、国際法学博士。エジプトの外相特別顧問、ユーゴスラビア大使、モロッコ大使、副首相・外相付官房長などを経て国連のアラブ連盟大使、駐米アラブ連盟大使を歴任。米国やカナダ、英国、フランスの大学で講義。

 ――ムスリム同胞団をどう評価しているか。

 ムスリム同胞団はエジプトで1928年に設立された。これは宗教運動だが、政治的な側面も持っており、エジプトから多くの国にずっと拡大してきた。時の政権に反対し、逮捕され、牢獄に入れられ、暴力や政治的な争いにも巻き込まれた。しかし、年ごとに、彼らはアラブ世界内で力を持ってきた。彼らは、我々が「イスラム政治」と呼ぶところのものをつくってきた。彼らは多くのイスラム教徒、ことに貧しい人々の中に入って行った。貧しい人たちを助けるというアプローチは非常に有効だった。

 彼らは、「アラブの春」と呼ばれる機会を捉え、権力に到達した。

 ――アラブ各国でムスリム同胞団が政権奪取を試みている。

 チュニジアにおいては同胞団系政党のアンナハダが同様な影響力を獲得した。モロッコにおいても彼らは動いた。シリアは内戦になったが同胞団はかなりの力を持っている。リビアでは選挙は行われていないが、同胞団グループは重要な影響力を持っている。

 ――エジプトでは同胞団が権力奪取後、国民と軍によって追放された形だ。

 彼らは権力を得ることはできたが、運営することに失敗したのだ。反対意見を言う官僚や政治勢力を締め出す誤りを犯した。同胞団の人だけを登用したのだ。それが、6月30日の(第二)革命をもたらした。

 数百万の人々が街頭に出て、政権のチェンジを求めた。これは人民革命だった。もちろん、軍は、ムバラク(前大統領)を追放した時の国民を支持したように、同胞団政権を追放しようとした民衆を支持した。ムバラクを追放したのは軍ではなく国民だったし、今回も同胞団政権を追放したのは、軍ではなく、国民だ。軍はただ、国民と共にあることを決断したのだ。

 今、同胞団はアラブ全域で後退を余儀なくされている。エジプトだけではなくチュニジアもそうだ。チュニジア政府はもはやアンナハダによってリードされていない。新首相に官僚出身のジョマア産業相が選出された。

 ――同胞団は、民主的な組織に生まれ変わることができるか。

 私は同胞団が公式に暴力とデモを放棄することを希望している。今、エジプトの学校はダメージを受け、エジプト経済は治安不安から観光客が来ないので低迷している。私は、同胞団がいつか政治プロセスの一部を担うよう希望している。暴力を信じる政党ではなく、憲法の役割を担い、社会に資する政党になるべきだ。

 私は同胞団の新しい世代がよりオープンになることを願っている。若い世代は、政治プロセスの一部を担わなければならないと理解するようになるだろう。彼らは、平和を取り戻し、オープンになり、他の政党と協働することができると思う。

 エジプトは歴史的にオープンな国家だった。エジプトにはイスラム教徒もキリスト教徒も、ユダヤ教徒もいるし、アラブでありながらアフリカでもあり、地中海国家でもあるという地政学上の理由だ。同胞団はエジプトを厳格な宗教国家にしたいと思っているが、エジプト人全員をそのようにコントロールすることは困難だ。

 次の国民投票に、同胞団が参加し、次期議会選や大統領選に参加することを希望する。新憲法は、同胞団傘下で作られた憲法よりより良いものだ。(同胞団だけが拒絶したが)イスラム主義政党のヌール党を含む他のすべての政党が参加し、議論して作ったものだ。

(聞き手=カイロ・鈴木眞吉)