緊急事態条項、権限集中がなければ無意味だ


 自民党の憲法改正推進本部では、執行部が緊急事態条項の創設について、政府への権限集中や私権制限の規定を盛り込むことを見送るべきだとしている。これでは創設する意味がないと言える。

 憲法は平和時前提に制定

 民主主義国家の憲法に緊急事態条項が不可欠なのは、憲法が平和時を大前提に制定されているからだ。そこでは権力集中を避け、国民に最大限の諸権利を容認している。

 従って、侵略、革命が発生したり、大規模自然災害が生起したりした場合は、対応のため権力の集中が必要になる。民主主義国で例外なく憲法に緊急事態規定を設けたり、不文の憲法的慣習で対処したりしているのはこのためだ。

 緊急事態条項創設への反対論で多いのは「国民の諸権利の制約に利用される」というものだ。だが、この反対論は緊急事態の際に生じる状況を的確に認識したものではない。われわれが直面するのは「国民諸権利の従前通りの保障」か「危機乗り切りまで制限受け入れ」かという二者択一ではない。

 政府が緊急事態に有効に対処しなければ、外国侵略軍あるいは武力による政権奪取勢力により、国民の諸権利は蹂躙(じゅうりん)される。大規模自然災害も放置すれば、国民生活は大混乱する。

 それ故、「不満はあるものの自らが選んだ政府」と「外国侵略軍」「武力による政権奪取勢力」とのいずれの支配下が、国民の諸権利をより擁護してくれるかである。ちなみに前者の場合は、危機乗り切りに成功した際には旧に復する。

 一方、緊急事態条項の創設に反対する学者は、ヒトラーが独裁権確立に悪用したワイマール憲法48条2項を反対理由としている。一知半解の指摘と言わねばならない。

 同条5項で緊急事態法の制定を予定していたにもかかわらず、政治の混迷で制定されなかった。ここにヒトラーが付け込んだのである。この点を反省し、ドイツ(西独)ではキリスト教民主同盟、社会民主党の二大政党が基本法(憲法)に緊急事態条項を盛り込むことで合意し、詳細な緊急事態法を制定したのである。

 第1次世界大戦以降、戦争は「総力戦」の時代になったが、日本は対応が遅れた。憲法に対する「不磨の大典」視が強く、改憲が行われなかったためだ。沖縄戦の際、政府が戒厳令の発令を見送ったのは、その内容が総力戦に対応できなかったからである。

 第2次世界大戦当時、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相は、ソ連のスターリン首相、ヒトラー独総統に勝るとも劣らない権力を掌握していた。しかし、旧憲法下で東条英機首相は「内閣の首班」、つまり閣議の座長にすぎず、政府権力は分散されていた。

 「立憲的独裁」への理解を

 ちなみに、民主主義国の緊急事態下の権力集中は「立憲的独裁」と呼ばれ、主権的独裁とは区別されている。

 立憲的独裁は緊急事態が解消すれば元の権力分立に戻る点に、主権的独裁との本質的な相違がある。