首相改憲提起、9条の全面改正が不可欠だ


 2020年に自衛隊の存在を憲法9条に明記する。安倍晋三首相は初めて憲法改正の目標時期を明らかにし、改憲の「本丸」とされてきた9条改正をテーマに掲げた。

 わが国を取り巻く安全保障環境は一段と厳しさを増している。しかし、国会の憲法審査会では9条論議を避ける傾向がある。安倍首相の提起はそうした“惰眠”に一石を投じた。これを契機に9条を根本から問うべきだ。

 20年の自衛隊明記目指す

 内閣府の調査では自衛隊に「良い印象」を抱いている人は92・2%に上っており(15年1月)、国民から支持されている。自衛隊の存在は定着しており、違憲と考える国民はほとんどいないだろう。

 自衛隊をめぐる違憲・合憲論争もすでに決着がついている。9条1項は「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄するとうたう。

 これは「戦争放棄に関する条約」(1928年)の条文を踏襲したもので「戦争放棄」の「戦争」は「侵略戦争」と解釈され「自衛戦争」を含まないのが国際法上の見解だ。

 最高裁もこれに従い、9条により自衛権が否定されたのではないとの判断を示し、自衛隊を合憲としている(59年12月)。

 問題は9条2項だ。憲法学者や一部野党には2項の「戦力不保持」「交戦権否定」を文字通りに解釈し、自衛隊を違憲とする考えが根強くある。

 73年に札幌地裁の福島重雄裁判長が自衛権は認められるが、「戦力」でない手段によるものにすぎないとし、「警察力や群民蜂起」などで自衛権を行使すべきだとして自衛隊違憲判決を下したのが、その典型だ。

 これでは重武装する侵略軍になすすべがない。空想的平和主義の極みで、国民をホロコースト(大量虐殺)にさらすだけだ。当然、上告審で否定された。

 だが、こうした違憲論は今日にも残り、先の安保法制をめぐる国会論議でも繰り返された。個別的自衛権を認めても、集団的自衛権は違憲。ミサイル攻撃を防ぐ敵基地攻撃能力の保有は違憲。「専守防衛」を堅持せよ。そんな主張が2項を根拠になされている。

 また「交戦権否定」も国際社会では誤解を生む。交戦権はあらゆる軍事組織が遵守(じゅんしゅ)すべき義務を明文化したもので、軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃を禁止するといった人権規定もあり、国際人道法とも呼ばれる。これを否定すれば、野蛮国家とされるばかりか、国民の生命も守れなくなる。

 これに対して安倍首相は現行9条を残したまま、新たに自衛隊の存在を明記する条項を加え、違憲論の生まれる余地をなくしたいとしている。

 2項を残していいのか

 果たしてそれでいいのだろうか。2項を残したまま自衛隊を憲法に明記しても、こうした論議が蒸し返されるのは目に見えていよう。国際社会に通用する軍隊の保有こそ焦眉の急だ。

 もとより20年の目標設定は評価されてよい。9条の矛盾を根本から問い、あくまでも全面改正を目指すべきだ。