いよいよ臨時国会 与高野低の政界力関係


 個人対個人のケンカなら腕力の強い方が勝つ。これは当たり前のことだ。しかし集団と集団との争いなら数の多い方が有利だ。これも当然の流れかも知れない。

 その現実は永田町を見れば一目瞭然だ。ここでは国会が開かれている限り、与野党の争いが毎日展開されている。しかし大抵の場合、多数を占めているのは与党だ。だからケンカをする前から勝負は分かっている。しかし少数の野党が多数の与党を一敗地にまみれさせる事がある。それは国民やマスコミが動いて野党を応援した時だ。だから国会の勝負の帰趨は分からない。

 秋の臨時国会がいよいよ始まる。与野党の力関係は与高野低だ。したがってこの国会は与党の思うままに運営され、望み通りに終幕を迎えても誰も異議を唱えない。国会こそが多数決の府だからだ。

 しかしこれは原則で、実際はなかなか原則通りには動かない。小が大を倒した例は挙げるに暇ないほどだ。この国会は与野党が睨み合って一触即発の非常事態を招く気配は感じられない。むしろ無事平穏の日々を送迎して終わるという観測が有力だ。

 しかし何が起こるか見当がつかないのが政治の世界だ。与野党談判決裂して、解散総選挙にならないという保証はない。その保証のない世界で与野党が虚実の秘術を尽くして対決する。何が起こっても不思議はない。解散総選挙もその選択のひとつだ。

 実を言うと、日本の政治の行方はこの総選挙で決まる。勝った方が天下を取るのが国民の意思だ。勝利を収めた政党の党首が総理大臣になり、第一党を勝ち取った政党が内閣を作る。これが日本の政治権力形成の第一歩だ。

 したがって、この最初の第一歩に比べると、その後の組閣や与党の姿が整うのはその付随作業でしかない。要は総選挙の際の国民の総意思が全てだ。総選挙で示された国民の意思がその後の日本のすべての行動の基本になる。

 日本の運命は総選挙直後の国民意思で決まると言っても差し支えない。その後の国会の手続きや、新政権スタートの準備作業はいわばその付け足しの行事だ。こうして見てくると、いろいろの手続きや方法論があったが、その全ては総選挙における国民の一票が源になっている。幸いにも日本の民主政治はまだ健全と言わなくてはならない。それは政治権力の大本の部分を国民がしっかり握って離さないからだ。

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