集団的自衛権 国益の視点で真摯な議論を


 日本国民には自虐趣味がある。日本国民でありながら日本嫌いが結構多い。特に政治に対しては厳しい。民主政治は政治の形態としては最高のものだが、日本の民主政治は国民の受けが悪い。マスコミは特に政治に対しては挑戦的だ。  大抵は政治の悪口ばかり並べている。正面から堂々と批判するなら耳を傾けてもいいが、殆んどが敵意丸出しだ。一番の被害者は政党である。まるで悪党の集団の如く扱われることすらある 。

 確かに日本の政党はよくないことがある。これは最近の傾向であるばかりではなく、明治以来の伝統だ。いまさらグチを並べても手遅れだ。そのせいか、マスコミの政党叩きは目に余るものがある 。

 マスコミは右にも左にも傾くことなく、公正無私の姿勢を保つのが本来の筋道だ。それが殆んどの例外なしに右に厳しく左に甘い。こんなことでは政治がよくなる筈がない。先ず何よりもマスコミの厳正中立が望まれる 。

 マスコミは厳正中立が売りもののはずだ。それが最初から左に大きく傾いている。国民に判断材料となる情報を伝えるという、重要な役割を果たすマスコミがこんなことでは、世論が左に傾くだけだ。しかしいざ選挙になると、新聞の望むようには左が伸びずに、右が幅を利かす結果になる。マスコミが弱いのか国民が強いのか、その辺りのことはよく分からない 。

 しかし、時間とともに国民はマスコミの手口にコロリとやられる心配がある。その心配は絶えることなく今に続いている。思えば日本は恐ろしい国だ 。

 さて、いまのところ衆院解散の気配はない。解散権を握っている安倍首相もその伝家の宝刀を引き抜くつもりは皆無だ。野党もまた解散覚悟で安倍首相に肉迫する度胸も実力も欠ける。この分では年内イッパイ永田町は無事平穏だ。与党も野党も枕を高くして安眠可能だ 。

 だからまだ時間はあるが、これからいよいよ最大のテーマとなる集団的自衛権についての議論が本格的に始まる。安保法制懇は5月半ばにも提出する報告書の中で、これまでは憲法上認められないとしてきた集団的自衛権の行使について、解釈変更を求める内容を盛り込む 。

 国民の安全と生命財産を守ることは国家の最も重要な責務だ。与野党はその責務を果たすため、真摯な議論を行わなければならない。マスコミも無責任な論調を改め、国民に正しい判断ができ得る情報を提供するという本来の役割に立ち戻るべきだ。

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