与野党議員の仲 私的な交流にも党派根性


 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別はない。少なくとも国を憂える顔とは違う。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は心配ごとがないわけでもない。しかしおっとり刀で駆け付けるほどの必要性はなさそうだと思い込んでいる。だから廊下でスレ違う与野党議員は「ヤアヤア」と声をかけ、握手したり、手を振ったり互いに上機嫌なのだ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は見ていて悪い気はしない。しかし与野党こんなに仲良しでいいのかなという気分も否定できない。国会はケンカの場ではない。議論の場だ。議論の場ならお互いニコニコしてばかりではいられないはずだ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別はといって、いつも与野党は睨み合っていなければならないとは思わない。議論は議論、ケンカはケンカだ。しかし日本の国会議員はその使い方が下手だ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は実は、表面的には仲良しに見えても両者はよそよそしい。互いに与野党の裃を着ている。ケンカ腰といえないまでも、用心と警戒を忘れない。こんなことでは、相方の本心など分かるはずがない。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別はしかしこれでは与野党ともに困る。思案に余って、与野党のルールを飛び越えて最高責任者のトップ同士が話し合って事態の打開を図る奥の手さえ繰り出している。党首ですらこのくらいの苦心や努力を惜しまない。一般党員も右にならえだ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は党は違っても国会議員であることは確かだ。選挙でともに苦労した仲間としてもっとざっくばらんに話し合いができないものか。政策や法案を論ずる時は、トコトン議論を尽くすのは当たり前だが、私的な付き合いまで党派根性を振り回すのは明らかに行き過ぎだ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は政治家は議論が商売で、みんな口が達者だ。粋も無粋もちゃんと心得ている。その玄人たちが、つまらぬ外面にとらわれて、カウンターパートとハラを割って話し合えないのか。永田町七不思議のひとつだ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は政治家はみんな話が上手だ。とくに雑談や世間話がうまい。聞く者もハラを抱えて笑い出す。ところが、この話し上手が与野党に分かれるととたんに話が通じなくなる。解散だとか総辞職だとか、エスカレートするばかりだ。

 国会を歩いていると、出会う国会議員の顔は太平楽を決め込んでいる。与野党の別は話がこじれてくると、自己本位で短兵急な主張がぶつかり合う。これではまとまるものもまとまらない。政治家の話はユーモアと愛嬌が売りものだ。与野党はその売りものを利用して互いに肩を叩き合いながら、激突を回避してほしいものだ。

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