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日本を脆弱にする専守防衛論


NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之

久保田 信之

国民は深刻な現状認識を
外国人が日本の土地買い占め

 最近、「専守防衛」と言う言葉がしばしば話題になっている。それも野党議員が、政府の防衛政策を批判するときに使われ、防衛力装備充実に際しても、「専守防衛の範囲を逸脱している」といった調子の批判を繰り返している。

 日本人の多くは「防衛」という言葉には抵抗を感じなくなっているが、「反撃(攻撃)」となると、なぜか罪悪感を呼び覚ましている。

 昭和天皇が、終戦の詔書の中で「さきに米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も、また実に帝国の自存と東亜の安定とを望んだことであって、他国の主権を排し、領土を侵すが如(ごと)きは固(もと)より朕が志にあらず」と、はっきりと日本の立場・日本の主張を述べられているが、現在の日本人は、陛下のこのお気持ちを受け止められずに、「日本軍は近隣諸国を侵略した」として決めてかかっているのではないか。あの戦争は「防衛戦争であり侵略ではない」と日本人が言い切れない状態なのだ。

 日本を侵略者と決め付け、二度と再び逆らえないように弱体化しようとしたのは、言うまでもなく連合国軍最高司令官であったD・マッカーサーであった。その彼が昭和26年5月にアメリカ上院の軍事外交合同委員会おいて「日本の戦争は自衛戦争であった。アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が中国において勢力を拡大していくことを黙認してしまったことである」とはっきりと証言しているのだ。

 「裁判」の名に値しない低俗な日本たたきの「茶番」が、「極東国際軍事裁判」であったことは今や常識である。もちろん、この極東国際軍事裁判を覆そうとするものではないが、現在にまで汚点を残したこの茶番をしなければならないほど、当時の日本は白人世界から恐れられていたのだと高く評価すべきなのだ。

 われわれが近現代史の中で学び取るべき課題は、「侵略戦争」と「自衛戦争」を簡単に二分したり、対立した概念として捉えたりしてはならない、ということだ。戦後の日本人は、先人の苦労を学び問い続けなければならない誠実さを忘れて、防衛を「善」とし攻撃・反撃を「悪」と二分する風潮が、マスコミをはじめ議員各位の思考を支配していることである。

 憲法学者や護憲派を名乗る政治家諸氏は、条文にのめり込むことで、善悪が拮抗(きっこう)している限界状況での対決を逃げている。いずれも、非の打ち所がない崇高な理念・結論を、議論に先立って設定しておけば、その議論は不活発になり現実離れをもたらす。これは歴史の鉄則だ。

 「戦争は悪であり、武力行使は絶対にしてはならない」と決めておけば、真剣に悩むことから解放される。日本人が、流動的な国際政治に参画できない理由がここにある。子供っぽい「善悪二分論」から脱却できない日本は、国際紛争に介入できるわけはなく、永遠に「蚊帳の外」であり続けるのだ。

 政府要人が、日本の防衛問題を説明する場合には、①先制攻撃はしない②防衛力は日本の領土・領海の中でのみ行使する③長距離攻撃兵器はこれを保持しない―を白々しく言い放っている。「自衛隊は、攻撃型兵器(弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、潜水艦発射弾道ミサイルを含む原子力潜水艦、攻撃型空母等)の保有は許容されていない」との現実無視の発言も耳にするが、誰が許せるか。

 防衛省の背広組は、言うまでもなく実戦経験がない。机上の空論で「攻撃」と「防衛」を二分するかもしれないが、正服組は日々の防衛体験から「専守防衛」の限界を実感している。

 茶の間でくつろぎながら、実感の伴わない国際情勢に、一喜一憂する「無責任な評論家」から脱却して、「主権者である自分」を再認識する原体験は、決して「専守防衛」では直面できない。高額な装備をそろえ、高度に訓練された専門家にお任せる「専守防衛」は、日本人をますます傍観者に追いやる愚策だ、と言いたい。敵国が攻撃したときは、猛攻撃をかけて敵国を壊滅する。その準備に必要な装備をそろえ訓練に努める、こうした政策こそ祖国防衛の本流ではないか。

 日本人に現実の日本を実感させる第一歩は、日本の不動産が外国人に買い占められている、という深刻な現状を認識させることだ。北海道を旅行してみれば一目瞭然だが、飛行場周辺やダムの周辺地、さらには水源地、温泉地など貴重な資源を買う中国系投資家の暴挙は目を覆うばかりだ。一方、壱岐・対馬に一歩踏み込めば、もはや日本ではなく韓国だといった実感を持つはずだ。日本海は中国人や韓国人、朝鮮人の海になっている。

 ミサイルや原爆によって日本が侵略される前に、「主権国家日本の中に別の国が存在している」のが現実になっていることをまずは深刻に受け止める必要がある。この段階での怒り、不安こそが最も大事な心情なのだ。この心情が強ければ強いほど、過去の対応に責任をなすり付け、「民間の協力が必要だ。もう手遅れだ」などという、無責任な傍観者的、官僚的「逃げ口上」にはごまかされない。緊急に条例を作り、強制執行に踏み切れば事態は動く。議論を開始する前に「悲観的な結論」を出してはならない。防衛と攻撃は、国民の意識次第ではないか。

(くぼた・のぶゆき)