浦上キリシタンの告白150年


加藤 隆名寄市立大学教授 加藤 隆

仙右衛門が問うたもの

生活に霊魂の平安の視点を

 今年はキリシタンの歴史の大きな節目に当たる。禁教下の幕末にあって、フランス人のために建てられた長崎大浦天主堂に浦上の隠れキリシタンたちが密かにやって来て、「ワタシノムネ(宗)、アナタトオナジ」 と信仰告白してから150年の記念の年に当たる。1865年(元治2年)のことである。

 しかし、当時は依然としてキリシタン禁制下であり、このような動向を察知した幕府側は、浦上四番崩れに代表されるように、江戸時代末期から明治時代初期にかけて激しい拷問を伴う大規模なキリシタン弾圧を行っている。この大弾圧の渦中に生きた一人の人物の生き様を振り返りながら、今日の社会の在りようを考えてみたい。

 この人物の名前は高木仙右衛門という。代々のキリシタン家系であり、江戸末期から明治期を駆け抜けた浦上キリシタンの中心人物である。浦上四番崩れでは、同郷の信徒とともに捕縛され、投獄や拷問に晒され、仙右衛門を除き全員が転ぶほどの厳しさであった。この時期に、浦上を中心に数千人のキリシタン信徒が捕縛されて流罪となっている。このような中にあって、幸いにも仙右衛門の認(したた)めた覚書が残っており、圧倒的危機の中にあって、彼を支えたものは何かが見えてくる。

 たとえば、仙右衛門が桜町の牢屋に入っているときに、牢内の頭は語るのである。日夜のキリシタンへの責め苦は尋常の沙汰ではないと仙右衛門に改心を迫った時、彼は次のように答えている。

 「わたくし、これに答えまするに、あなたの今の言葉はずいぶん分かりまする。色身のためばかりには、この上なきねんごろな事でござります。けれども、天のあるじより与えられたるアニマ、その御恩の天主のために、この上なき災いなれば、どうも気の毒ながら改心することはかないません。じつに、わたくしは人に恐れません。ただ、天のあるじばかりに恐れまする」

 つまり、色身(肉体)のためだけを考えたら結構な申し出かもしれないが、天より与えられているアニマ(霊魂)とその御恩のためには災いとなるものだから、改心することはできないと語る。アニマこそ人間の土台なのである。彼は、他のところで取り調べの目安方が「司祭は何を教えるのか」との尋問に、「人のアニマ(霊魂)のたすかりを教えます」と答えるのである。

 こうして、仙右衛門は激しい弾圧を潜り抜け、禁教令の解除後は、伝道師として赤痢患者の救護や孤児救済事業に全財産を投じている。そして、仙右衛門をさかのぼる幾多の先駆者が戦国期以来のキリシタン潮流を作ってきたように、彼の子孫もまた今日に至るまで国内外で豊かな輝きを放っている。

 さて、話を現実の日本社会に転じてみたい。選挙のたびに各政党が掲げるマニフェストには、共通するキーワードがあることに気が付く。「安心・安全で格差のない社会」「安心社会をつくります」「生活の不安を希望に変える人への投資」「安定は希望です」などである。人々は「安心」「安全」「安定」を求めているのである。そして、政治家はそれに応えようと施策を練るのであろう。誰も異論のない立派な言葉であり、福祉や医療環境の充実、或いは、雇用や経済の好循環は、確かに人々の生活に「安心」「安全」「安定」を齎(もたら)すように思われる。しかし、果たして本当にそれだけでよいのだろうか。

 冷静に考えてみると、我々は明日も間違いなく生きているという保証は全くない。癌にはなりたくないが日本人の2人に1人は癌に罹(かか)る。台風や地震という自然災害で一瞬にして命や財産が無に帰してしまうかもしれない。自分は安全運転をしていたのに相手が飛び出して大けがをし、心ない人間によって盗難や傷害に遭うかもしれない。こう考えると、「安心」「安全」「安定」というスローガンが霞むほど、人間は本質的に不安で不安定な存在に思えるのである。そして、さらに言えば、人間は心の深いところでもう一つの「安」を求めてはいないだろうか。「平安」である。

 人間は横軸と縦軸で生きている。恐らく、「安心」「安全」「安定」は横軸であって、それを齎してくれるのは家族であり、友人であり、地域社会であり、行政府などであろう。それに対して、人が本質的に求めている「平安」は縦軸である。神仏や超越的なものが上から下へ流れ来たり、人のアニマ(霊魂)に触れるのではないだろうか。

 この「平安」の視点なしに「安心」「安全」「安定」で事足れりとする現代の風潮こそ悲劇を生み出している気がするのである。「天のあるじより与えられたるアニマ、その御恩の天主のために」と言い得た仙右衛門に、横軸と縦軸をしっかり持って生きた真の人間の姿を見るのである。

(かとう・たかし)