北方領土問題に唱える異見


大藏 雄之助1

対露理解が必要な日本

評論家 大藏 雄之助

 林子平は蝦夷(えぞ)・千島付近にロシアが出没するのを憂えて天明7年(1787)に『海国兵談』の第一巻を出版し、「江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也」と書いて国際的な視野による国防を説いた。しかし、幕府は「余計な口出しをする者」として子平を投獄し、この本を禁書とした。それからちょうど10年後の寛政9年、まさに警告通り、ロシア人が択捉(えとろふ)島に上陸した。

 以来210年余、択捉は北方領土の一部として解決を待っている。今日これについて論じても罰せられる恐れはないから、私は異端の提案をしたい。


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