新春座談会 コメント集


人間国宝 「無名異」 伊藤 赤水

新しいステージを志向して

01h9630

 戦後60年が過ぎ、疲弊したわが国を国民皆で努力を重ねて、経済大国の仲間入りをした。

 そうした中で、各分野は急速にグローバルに向かっている。

 これは、どの国も避けて通れない世界の潮流である。

 文化の一端を担う美術芸術はどうか。

 海外に向かって、より深く詳細な情報を発信し、果敢な行動を増幅しなければならない。

 広いフィールドに立つ、条件と状況は整いつつあるやに見える。

 日本個有の、あるいは古来より続く文化芸術であればなおさらに、新しいステージを志向する時である。

 世界というステージに立つ時、日本の伝統を基盤とし、個性的で、新しい魅力を創り出すことは、重要なことである。

 どのようなスタイルで、ステージに立つかは、それぞれではあるが、トンガってガンバルも良し、又、皆で臨む方法もある。

 いづれにしろ、志あるところに、自己を色こく表現し、ギャラリーに問いかけること。

 私は、佐渡に生まれ、創作の場を佐渡に求め、佐渡にこだわることで、より高いステージに挑みたい。

 新しいフィールドを求め、挑戦者でありつづけられることこそ、大きな喜びであり、幸である。

 

ソプラノ歌手 藤原歌劇団団員 家田 紀子

日本語のオペラ公演を海外へ

01h9631

 ローマとパリでオペラ『夕鶴』のつうを歌った――2010年のこと。ローマでは「日本にもオペラがあるのか。プッチーニのようだ!」、パリでは「まるで映画のようだ!」とそれぞれのお国柄が出た貴重な感想をいただいた。400年前ギリシャ悲劇の復興でフィレンツェに誕生したオペラは、ヨーロッパ各地の都市文化を吸収し華麗なオペラの歴史を築いてきた。

 『トスカ』を演じる時、舞台となった当時のローマの歴史や風習を研究する。『椿姫』のヴィオレッタを演じる時、この階級の人々がどのような仕草をするのか、ドフォール男爵がアルフレードに挑戦の意志を表すのに手袋を足元に投げるとか、『カヴァレリア・ルスティカーナ』で決闘の前に耳を噛みあうとか、日本にはない習慣を知ることとなる。オペラは音楽に乗せて歴史・文化・習慣・心を伝えることができる総合芸術。

 日本オペラには「どのようなものがあると思いますか?」と尋ねると、ほとんど『蝶々夫人』と答えが返ってくる。長崎を舞台にした蝶々夫人のお話だが、プッチーニが作曲したイタリアオペラであって、決して日本オペラではない。明治時代に、オーストリア=ハンガリー大使館職員により『ファウスト』第1幕が上演され、日本で行われているオペラの原点となった。その後、山田耕筰が初めて日本オペラを作曲してから、『夕鶴』『春琴抄』をはじめ多くの作品が誕生している。

 私たち日本人のオペラ歌手が、イタリアやドイツの作品を歌うように、海外の歌劇場でも世界のオペラ歌手たちによる日本語の「日本オペラ」が公演されることを願っている。日本語の「響き」は静謐(せいひつ)な中に壮麗さ、荘厳さを秘めており、それは四季豊かな美しい日本、大和の心と漲(みなぎ)る力のベースあってのもの。外国語で台詞を語るのは非常に難しいことだが、音楽に乗せると歌うことができる。2020東京オリンピック・パラリンピックを機に日本オペラをあまねく海外に発信したい。日本語の歌を通じて、日本が「和を尊ぶ美しい心を持つ国」であることを理解してもらうために。

 

公益財団法人日本オペラ振興会理事
日本オペラ協会総監督 大賀 寛

日本オペラの名曲で名演奏を

01h9628

 母語によって、世界観をもち、真実を語ることができる。母語による芸術を大切にしたい――。そう考えて、日本オペラ協会は昭和33年(1958年)に発足し、今日まで半世紀を超えて活動を続けてきた。

 オペラの歴史が長いヨーロッパには、名演奏家による名演奏が多数残っており、様式が出来上がっているが、日本語のオペラにはそれがない。よく知られた『夕鶴』をはじめ『天守物語』などの名作があるが、日本の土壌から生まれた作品がもっともっと必要だ。また、日本語をオペラでどう表現するかも確立されていない。作品づくりと日本語唱法(演奏法)の確立が協会の目的だ。

 文化庁助成、委嘱作品による第1回シリーズ公演が昭和40年。以後、74回を数えた。このうち32本が新しい作品。三島由紀夫作品など文芸的なものが多く、自信を持って対外的に発信できる。

 昭和63年に『袈裟と盛遠』という作品でポーランド公演を行ったが、同国の文化大臣が来場するなど歓迎してくれた。その時の記者会見で出た質問は印象的だった。「このオペラは日本の伝統をどのように生かしているのか」と。字幕についても「(プログラムに)あらすじさえ出してくれればいい。本物ならわれわれは分かる」と言われた。オリジナルの大事さを痛感した。

 日本の作品は700もあるが、ほとんどが再演できていない。大変残念である。今後、定期的に公演を開催していくが、2020年東京五輪に向けて日本文化の象徴としての日本オペラを創りたい。例えば、『娘道成寺』。日本舞踊とタイアップできれば素晴らしい。日本の様式美として、世界の方々に楽しんでいただけると思う。

 

「琉球舞踊」保存会会長
重要無形文化財保持者 玉城 節子

世界の文化を吸収した沖縄文化

01h9629

 琉球舞踊のすり足は、日本の伝統芸能「能」の影響を受けている。こねり手の動きは東南アジアの影響とされる。世界の優れた文化を吸収しながら独特のものとして高めていくのが沖縄文化の特徴。

 沖縄の「組踊」(重要無形文化財)は男性だけによるものだが、琉球舞踊は女性が主流。重要無形文化財保持者14人のうち女性は11人。沖縄では戦後、女性が中心となり、芸能全般を盛り上げてきた。

 高校卒業後まもなくの1964年、東京五輪が開催された。五輪開催を記念した民俗芸能の集いでは琉球宮廷芸能を披露。当時、司会を務めた宮田輝氏が「こんな格調高い舞踊は地方の民俗芸能としてではなく、邦楽部門で出てもらうべきだった」と話したそうで、それを聞いて誇らしく思った。

 海外公演は約30カ国に及び、米ニューヨークのカーネギーホールでも公演した。「諸屯」(しゅどぅん)という踊りの中で、静止しながら「目線だけで踊る」という場面があった。「無表情の中の表情」で、「感情を抑えながら自然に表わす」のは長年の鍛錬が必要で、それが見る側に伝わる。舞台翌日のニューヨーク・タイムズ紙も絶賛してくれた。

 2020年の東京五輪の際には、単なる一地方の芸能としてではなく、国指定無形文化財として堂々と世界に発信したい。