安易に家族制度を歪めるな


 婚外子の相続や性同一性障害者の人工授精の子供をめぐって昨年、最高裁は従来の家族制度を踏み出した判断を下し、波紋を広げた。

 家族は社会の基礎単位で、その在り方は国家の倫理的基盤とも深く関わる。それだけに家族制度に関する論議には熟考と高度な政治判断が必要となる。司法府の「暴走」は許されない。

 婚外子格差は「違憲」

 わが国は海外に比べて治安が良く、「おもてなし」など世界に誇るべき精神と社会秩序を築いてきた。その基盤となっているのが安定した家族制度だ。民法は一夫一婦制の「法律婚」を基本に家族の扶(たす)け合いや夫婦財産、親権などの権利と義務を明記し、家庭の安寧を図ってきた。

 ところが昨年、最高裁はこうした家族制度を揺るがしかねない判断を示した。一つは婚外子の遺産相続分を嫡出子の2分の1と定めた民法の規定を違憲としたことだ。もう一つは性同一性障害のため女性から性別変更した夫の妻が第三者の精子を使って人工授精し出産した子供について、夫を初めて「実父」と認めたことだ。

 いずれの判決にも疑問符が付いた。婚外子についての判決は法律婚を軽視し正妻や嫡出子の人権を損ない、公序良俗違反行為(いわゆる不倫)の勧めにもなりかねない。判決理由に婚姻や家族の形態、国民意識の「著しい変化」や「国際社会の潮流」が挙げられたが、日本では約98%が嫡出子だ。内閣府の世論調査では婚外子の相続分を同等にすべきとの回答は少数にすぎない。「国際社会の潮流」と言っても欧米諸国のもので、他国に左右される必要もない。

 一方、性同一性障害者は性別を変えたことが戸籍に残るので、生殖能力がないことは明らかだ。それで一、二審では嫡出推定の前提を欠いているとされた。最高裁でも5人の裁判官のうち2人が嫡出推定の根拠が存在しないとの見方を示した。

 本来、こうした問題は司法府ではなく、立法府が法によって判断基準を示すべきものだ。だが、性別変更した親や生殖医療に関して民法や戸籍法に規定がなく、その意味で立法府の怠慢とも言える。

 ただ法整備が進んでいないのは家族観や倫理的問題をめぐってさまざまな見解があり、熟考と高度な政治判断を必要とする側面があるからだ。その解決は国民に対して政治責任を負う国会や内閣が行うべきものだ。

 だから婚外子判決では「(相続制度は)各国の伝統や社会事情、国民感情を考慮し、国民の意識を離れて定められない」とし、「どのように定めるかは立法府の合理的な裁量判断にゆだねられている」ともしている。

 司法府が立法府に法整備を促すことは理解できる。だが、現行法制度は選挙で選ばれることのない司法府に高度な政治判断をゆだねていない。司法府が安易に判例を変更したりすれば、「立法的機能」に立ち入る過ちを犯すことになる。

 判例変更は慎重さが必要

 家族観をめぐっては、同性婚や夫婦別姓など従来の家族制度を揺るがす議論が少なからずある。いずれにおいても司法は安易な判断を厳に慎むべきだ。

(1月5日付社説)