イチロー選手引退、記録に挑み続けた安打製造機


 平成という一時代に日本のプロ野球から雄飛した米大リーグで縦横無尽に活躍し、メジャー屈指のスーパースターとなった天才打者が、現役生活に終止符を打つ。

米野球殿堂入りは確実

 今季で日米通算28シーズン目を迎えていたマリナーズのイチロー選手(45)=本名鈴木一朗=が、日本での大リーグ開幕第2戦となったアスレチックス戦(21日・東京ドーム)終了後に開いた記者会見で、引退を表明したあと「最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに思います」と感謝の言葉を述べた。

 イチロー選手は1992年に愛知・愛工大名電高からオリックスに入団。94~2000年に史上初の7年連続首位打者を達成した。

 00年オフにポスティングシステムを利用してマリナーズ入りしてからは、大男たちの中で、小さな巨人の“振り子打法”が長年破られなかった大リーグ記録を塗り替えてきた。打って走って守って、その上にレーザービームと呼ばれる送球で走者を刺すなど、その精悍機敏なプレーは当時、力頼みに偏っていた本場のメジャー野球に新風を吹き込み、野球本来の魅力、楽しさをよみがえらせたと言っても過言ではなかろう。

 大リーグ1年目でア・リーグ最優秀選手(MVP)、新人王、首位打者、盗塁王に輝いた。04年には大リーグ年間安打記録を84年ぶりに更新する262安打を放った。09年には大リーグ史上初となる9年連続200安打を達成し、さらにこれを10年連続まで伸ばした。12年途中からヤンキース、15~18年はマーリンズでプレーし、18年に6季ぶりで古巣に復帰した。この間、16年6月に参考記録ながらピート・ローズ氏の大リーグ最多安打4256本を抜く日米通算4257安打を記録。同8月には日本選手初の3000安打(大リーグ史上30人目)を達成した。

 大リーグ通算では2653試合で打率3割1分1厘、歴代22位の3089安打、117本塁打、780打点、509盗塁を記録した。将来の米野球殿堂入りは確実とされるレジェンドなのである。

 日本人大リーガーでは、独特のトルネード投法を引っ下げてドジャースなどで活躍した野茂英雄氏が、大リーグの日本人投手に対する評価を大きく引き上げた。いま活躍している田中将大投手やダルビッシュ有投手らの道を大きく拓いたことは言うまでもない。

 しかし、力とともにコントロールや球種など投球技術のウエートが高い投手に比べ、体力や体格のウエートが大きいとされる野手に関しては、その後も「日本の野手は(大リーグで)通用しない」とする通説が根強くあった。これを覆したのがイチロー選手の活躍である。その功績は多大である。

ファンの心を打った精進

 現役最後のアスレチックス戦では4打席凡退に終わり、有終の美は飾れなかった。安打製造機とうたわれたイチロー選手の米通算3090本目の安打はならなかったが、28年間精進し続けた姿に感謝を込めたファンの声援は届いたのである。