新たな世界的互恵関係の構築を


主張 年頭にあたって
寛容と首脳同士の対話が不可欠

 平成最後の年が明けました。天皇陛下は御在位中最後となる昨年の御誕生日の記者会見で「即位以来、日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」と述懐、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と、平成を振り返られました。改めて天皇皇后両陛下の国民に対する献身的御務めに心からの感謝とともに、5月に即位される皇太子殿下の新元号の下における弥栄(いやさか)をお祈り致します。

心を溶く慰霊の訪問

 思えば天皇皇后両陛下は、会見でも述べられたように東日本大震災をはじめ幾多の被災地を訪問され、国民を慰労し励まされた。さらに戦後60年のサイパン島、戦後70年にはパラオのペリリュー島、その翌年にはフィリピンのカリラヤを訪問され、戦没者の慰霊にもお心を砕かれた。

 先代の昭和天皇が戦後の混乱期と復興期である1947年から54年にかけて全国各地を訪れ励まされた、この御巡幸がどれほど国民の復興への希望と意欲を高めたかは計り知れないものがある。

 天皇陛下は、戦後の平和と繁栄がそれまでの多くの犠牲と復興に当たった国民のたゆみない努力で築かれたことに思いを致し、沖縄をはじめ国内外の戦没者の慰霊に特に心血を注いでこられたのである。先の大戦で戦場となった東南アジア、太平洋諸国においても両陛下の慰霊の旅が今を生きる人たちの癒やしになっていると思われる。

 世界的にも歴史的負の遺産、戦争や災害などの「慰霊」の地は数多い。例えば西アフリカ・セネガルのゴレ島は16世紀から19世紀にかけ黒人奴隷の貿易拠点として知られる。イスラエルではユダヤ人虐殺の犠牲者を追悼する国立記念館(ヤド・ヴァシェム)、わが国では広島の原爆ドーム、近年では9・11テロのニューヨークのグラウンド・ゼロなどほんの一部だが、人種間および宗教間の融和、平和構築を促進していく誓いのシンボルともいえる。外交と慰霊もしくは和解・融和を進める動きは別物だが、不可分でもある。

 日韓関係は、このところ徴用工判決、慰安婦財団の解散、海上自衛隊機への韓国軍艦艇の火器管制レーダー照射問題など対立が増している。交流や留学生交換など現場レベルでも比較的関係が親密だった韓国軍と自衛隊だけに、今回のレーダー照射問題は親北朝鮮で対日関係に厳しい文在寅政権の姿勢が軍の現場にも影響しているのは否めない。

 日韓問題の根底には、いわゆる歴史認識がトゲのように刺さっている。今年、韓国は日本統治時代の1919年に起きた「3・1独立運動」の100周年に当たる。ただでさえギクシャクしている両国関係がこれを機に、一層緊張関係をもたらすのではないかと懸念する向きもある。

 これを制御していく努力が日韓両国双方に求められる。そのためには双方が、共通の互恵目標を設定し、それに向け共存共栄を図っていくことが望ましい。韓国には「恨み(ハン)」の文化がある。日本の「恨み」とは違う感情的しこり、痛恨、悲哀といった諸々(もろもろ)の独特の無常観、それからの解放願望という。

 日本としては政治的外交的アプローチだけでは対韓関係で手詰まり感があるのは否めない。こうした文化的理解を深めていくことが外交の幅を広めていくことにもなろう。一方、韓国側もわが国の戦後の一貫した平和主義、国際協調の実績にもっと率直に目を向けるべきだ。安倍晋三首相の「自由で開かれたインド太平洋構想」はそうした延長線上のさらなる責任と役割を示したものだ。

未来志向を空文化させるな

 日韓関係のあり方では常に「未来志向」が言われる。日韓両国は東アジア地域において重要な平和と安定のカギを握る。これを空文化させないためにも、まずは首脳同士が自由と民主主義という価値観の一致を確認し寛容な姿勢で対話を継続していく姿勢が求められる。