“総論”脱却し自立の道探れ


主張 年頭にあたって
「各論」の時代にどう臨む

 昨年は、天皇陛下が平成31年(二〇一九年)四月末日に御退位、皇太子殿下が翌日新元号で即位されることが決まりました。幾多の災害や慰霊の御訪問をはじめ国民を癒し励まされてきた天皇皇后両陛下のお姿はまさに国民統合の象徴を具現化されたものであり、改めて心からの感謝と皇室の弥栄(いやさか)をお祈り致します。

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 今年は戌(いぬ)年。この干支は「変化」「変わり目」の意味があるとされ、旧年にも増して激動の内外情勢が控えていることを予感させる。とくに北朝鮮の動向については、東アジアのみならず国際社会全体の深刻な懸念となっており、わが国も着実かつ従来以上の踏み込んだ対応が求められよう。もちろん、中国の軍事的海洋進出や韓国との慰安婦問題といった“火種”は依然として残されたままだ。

 こうした直面する、そして今後展開されるであろう事態にどう臨んでいけばいいのだろうか。その前に今の時代相を考えてみたい。冷戦期は、膨大な数の戦略核を持つ米国と旧ソ連が対峙し、いわゆる東西陣営の「恐怖の均衡」を演出したが、それなりに安定していた。ところが、ベルリンの壁崩壊を契機とした「ポスト冷戦」は米ソのタガが外れ、重しのとれた各国は自国の利害を中心に動くようになった。

 国内政治では、憲法改正問題がその端的な例といえよう。かつて国会では、閣僚が憲法改正の必要性に言及しただけで野党から追及され辞任に追い込まれた。改憲の実現がいまだ現実味を持たない当時は、一方で保守派が改憲の総論で大同団結していた。しかし、安倍政権登場後、改憲が具体的な政治スケジュールと化してくると、保守派内でも「9条」改正をめぐって異論や反対論が噴出する。まさに「総論」から「各論」の時代に様変わりしたのである。

 安倍首相は、9条の第1項、2項をそのままにした上で「自衛隊の明記」を提案し、改正論議に一石を投じた。ただ、肝心の自民党は元々の改憲草案にある「2項削除」と安倍提案の両論併記でまとまっていない。与党の公明党は慎重な対応だ。立党の原点である「福祉の党」から平和、生活を守るという政策に比重を置くのは理解できるが、安保法制成立の過程で支持母体の一部動揺があったにせよ、長期的な国民の安全と暮らしを根本からどう守るかの観点から憲法改正とくに9条の問題は避けて通れないのではないか。

 外交・安全保障論議で野党に望みたいのは、政府・与党に対する批判、追及は大いに結構だが、相手の土俵に踏み込んだ具体的な質問が不可欠だということだ。「米国の軍事行動に巻き込まれる」「専守防衛を逸脱する」といった、従来の“神学論争”の域を出ない追及では、論議がかみ合わない。結果として政府・与党の安全保障政策の欠点、不十分さを見逃すことになる。

 トランプ米政権の登場で世界はこの一年振り回された感があった。良きにつけ悪しきにつけ、このトランプ流「アメリカ・ファースト」にわが国は腹を決めて対応せざるを得ない。その意味では安倍首相の、表面は和やかでも心中は「いかに米国を日本に引き留めておくか」という深刻さを、野党は党派を超えて共有すべきではないか。安倍政治を無条件に是認することではない。いかに日本の置かれた深刻な状況を見据えて野党はその立場から役割を果たさなければならないということだ。

 言い換えれば、日米同盟関係という大枠の中でいかにわが国は自らの裁量の幅を拡げるか。その「自立」の道を進まなければ、他者依存の体質では早晩限界が来よう。

 最後に忘れてならないのは、「内なる安全保障」の確立だ。少子化・人口減という内政の最大課題を克服することは、長期的国家の基盤を盤石にする上で不可欠だ。社会の基本単位である「家族」の再生・復活はその意味でも憲法改正の重要な論点といえる。