めぐみさん拉致40年、全員帰国へ働き掛け続けよ


 1977年11月15日、新潟市内で中学校の部活を終え、帰宅途中だった横田めぐみさん(当時13歳)が忽然と姿を消した。その後、めぐみさんは北朝鮮の工作員によって拉致され、北朝鮮に連れていかれたことが分かった。その日からきょうでちょうど40年。めぐみさんの消息は依然としてつかめていない。北朝鮮の残忍な仕業に改めて憤りを覚えるとともに、拉致被害者全員の帰国が実現していないことにもどかしさを禁じ得ない。

難航極めた捜索活動

 めぐみさんは日本人拉致問題の象徴的な存在であり続けたが、北朝鮮という「闇」を相手に捜索・救出活動は難航を極めた。

 めぐみさんが失踪した当時、警察が捜索する中で北朝鮮による拉致の可能性をどれほど念頭に置いていたかは定かでない。ただ、当時すでに一部では北の仕業だという噂も広まっていたようだ。70年代後半以降、日本海側で不可解な失踪事件が連続的に発生していた。

 めぐみさん生存の情報がもたらされたのは拉致から実に20年も経過した97年のことだった。2002年に小泉純一郎首相(当時)が訪朝した際、金正日総書記は拉致を認め、謝罪した。5人の被害者とその家族の帰国が実現する一方、それ以外の被害者について北朝鮮が出してきた情報は「横田めぐみ死亡」を含む8人死亡、4人未入国という残酷なものだった。

 その後、日本側の要請で北朝鮮が提出しためぐみさんの遺骨はDNA鑑定の結果、別人のものと判明し、北朝鮮の説明に虚偽があることが分かった。

 06年には高校生の時に韓国で北朝鮮に拉致された疑いがあり、後にめぐみさんの夫となった金英男氏の存在が明らかになり、二人の間に娘がいることも分かった。娘とめぐみさんの父、滋さん、母、早紀江さんとの面会も実現したが、肝心のめぐみさん救出には至っていない。

 大韓航空機爆破事件の実行犯だった金賢姫元死刑囚が以前、北朝鮮の招待所で女性工作員に日本語や日本文化を教えていためぐみさんを見たと証言したことが明らかになるなど、めぐみさんが北朝鮮で暮らしていた「証し」も出てきたが、いずれも断片的なもので詳細は分かっていない。

 めぐみさんをはじめ拉致被害者の救出に、なぜこれほどまで長い歳月を要しているのか。北朝鮮側は拉致問題は解決済みとしてきたが、それは言い逃れにすぎない。北朝鮮の特殊な体制ゆえに被害者帰国の要求に応じない事情があった可能性もある。最大のネックは北朝鮮の最高指導者に被害者解放を決断させる何らかの働き掛けができずにいることだろう。

 被害者も家族もこれ以上は待てない。被害者の全員帰国という結果だけが待たれる。政府は日朝間の公式・非公式ルートを総動員し、金正恩朝鮮労働党委員長を動かす努力を続けるしかない。

国際社会の結束示せ

 先に来日したトランプ米大統領は拉致被害者の曽我ひとみさんや被害者家族と面会した。拉致問題解決へ日米をはじめ国際社会が結束を示し、対北圧力を強めることも大事だ。