敬老の日 「人生100年」本格的議論を


 きょうは敬老の日。平均寿命の延びによって「人生100年」時代がもうそこまで来ている。それぞれの人生、また社会との関わりの中で「老い」について改めて考える時である。

政府の「構想会議」発足

 厚生労働省の集計によると、100歳以上の高齢者は15日の時点で6万7824人に上り、47年連続で最多を更新した。100歳以上が3万人台に達したのが2007年。10年間で倍増したことになる。

 テレビなどで紹介される百寿者を見ても、100歳とは思えないほど元気な人が少なくない。長寿の秘訣について「笑顔と感謝」という心の持ち方を語る人もいれば、「温泉」を挙げる人もいる。

 それぞれの体質によるところも大きいが、多くの人が、日ごろから肉体面と精神面の健康維持を心掛ければ、100歳も夢ではない環境ができつつあることは事実である。

 政府はこのほど「人づくり革命」の具体策を話し合う「人生100年時代構想会議」を発足させた。人類がかつて経験したことのない長寿社会の出現を前に、従来の雇用や教育をはじめとした社会のシステムを根本的に見直そうというのが、その目的のようだ。

 中年から高年に達した人々が新たな人生の目標や天職を発見した場合、「学び直し」の機会があれば随分と助かるだろう。日進月歩ともいうべき科学技術の急速な発展や社会の変化の中で、若い世代と肩を並べて仕事や社会活動に取り組むためにも必要になる。

 いずれにしても、人生100年が現実となれば、人生設計も、これまでの枠組みにとらわれず、大胆にあるいは柔軟に描き直すことも可能となる。

 高齢化社会は今後世界的な傾向となるとみられる。日本が世界に先駆けて、そのモデルを作り上げていくべきである。

 少子高齢化には、労働力不足や医療、介護など難しい問題が伴う。認知症の増加も大きな課題だ。65歳以上で認知症とされる人は12年時点で462万人に達し、予備軍が400万人に上る。これは65歳以上の4人に1人に当たる。

 しかし、人生100年を想定してこれらの課題に取り組むことによって、より発展的な道が開かれてくる可能性がある。

 「老い」を消極的にとらえることも変えていきたい。もともと中国における「老」にはもっと積極的な意味があった。人生経験を積んだ老人はさまざまな知恵の宝庫であり、孫やひ孫を抱く喜びも老いてこそ体験できる人生の味わいだ。

 高齢者が社会でもっと活躍できるようにすることが、労働力不足その他さまざまな課題を克服する道へとつながるはずだ。

 長寿社会の明るい青写真も、健康寿命の延びが前提である。健康寿命とは、日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自立した生活ができる生存期間をいう。

健康寿命を延ばそう

 認知症に関しては、治療や予防の研究も進んでいる。特に予防策の研究進展に期待したい。健康寿命延伸を国民的な運動とすべきである。