終戦の日、平和を担保したのは抑止力


 72回目の終戦の日を迎えた。祖国に殉じ、戦火に倒れた300万同胞の御霊(みたま)に鎮魂の祈りを捧(ささ)げ、尊い殉国と犠牲を無駄にしないことを改めて誓いたい。

 空想的な日本国憲法前文

 先の大戦は、わが国始まって以来の本格的な敗戦に終わった。それに続く連合国軍による占領も、かつて経験したことのない出来事であり、このショックは日本人の思考から一時的にバランス感覚を失わせた。

 占領下の昭和22年施行の日本国憲法は、平和主義を掲げた。だがその前提となる世界観と平和構築の方策は、あまりに理想主義的で空想的なものであったと言わざるを得ない。それは前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言に表れている。

 冷戦終焉(しゅうえん)後、宗教、民族対立が激化し、戦争やテロが頻発している。諸国民の公正と信義がいかに不確実なものであるかは明らかだ。昭和25年には韓国動乱が勃発したが、自衛隊創設の端緒とはなっても、根本的な転換にまでは至らなかった。

 戦後の日本は幸いにして、武力侵攻を受けることなく平和を維持し、繁栄を享受できた。それは、平和憲法を掲げていたためではない。東西冷戦構造という一種の国際秩序があり、何より同盟国・米国の核の傘による抑止力があったからだ。

 平和を誓う終戦の日のきょう、自衛隊が島根、広島、愛媛、高知の4県に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を展開し、北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えるという事態は何を物語るか。戦争反対を叫び、呪文のように唱えていても平和は担保されないことを端的に示している。

 そのことを認めたくない人々が日本にはいるようだ。だが現在のわが国を取り巻く状況は、それが空論だと知りながら政治目的のために語り続けることの欺瞞(ぎまん)性を浮き彫りにしている。

 戦後日本の奇跡的な復興は、破滅的な本土決戦論をとどめられた昭和天皇の終戦の御聖断によるものだった。生物学者でもあられた昭和天皇は科学的に現実を直視され、御聖断を下されたと言える。天皇無答責という明治憲法の規定はあっても、最終的には国と国民の運命に責任を持たれるという御心がおありだったのだろう。

 戦後の平和主義は、外交問題を交渉で解決するという姿勢を貫いてきた。領海侵犯など主権侵害行為に対しても武器を使うことはなかった。しかし、力の背景がなければ本当の意味での交渉になり得ないことは、ロシアとの北方領土や中国との東シナ海ガス田の問題を見ても明らかだ。軍事的な力と外交交渉のバランスを欠いたところに、戦後日本外交の致命的な限界があったことは確かである。

 防衛力強化が必要だ

 わが国を取り巻く国際環境は今後、ますます厳しくなろう。外交に幅と柔軟性を持たせるためにも、経済力や技術力はもちろん、防衛力すなわち軍事的な実行力を強化する必要がある。

 先の大戦では、日本が誇りある独立国として存続することを願って多くの若者が戦死していった。そのことを決して忘れてはならない。