敵基地攻撃能力、直ちに保有に踏み出すべきだ


 安倍晋三首相が衆院予算委員会で、敵基地攻撃能力の保有について検討する意向を明らかにした。小野寺五典氏(自民党)の北朝鮮の弾道ミサイル絡みでの質問に答えたものだが、一国の防衛のため、あらゆる局面で不可欠な機能である。

 日本を取り巻く環境の厳しさを念頭に置くと、検討ではなく直ちに保有に向けて踏み出すべきである。

 対米依存の「専守防衛」

 古来、戦いでは攻撃しなければ必ず負ける。それどころか「攻撃は最大の防御」でもある。これは現在でも変わらない。

 ところがわが国では、警察予備隊の名称で軍事組織が再建されて以来、現在の自衛隊に至るも、攻撃力は皆無に等しい。劣っているのではなく、「専守防衛」と称して整備をしようとせず、攻撃は専ら米軍に依存してきたからだ。

 安倍首相でさえ、北朝鮮の核兵器能力の進展、中国による南シナ海の内海化、沖縄県・尖閣諸島奪取の動きに対して「日米同盟の深化」を口にするだけだった。冷戦終結後の多極化した国際社会では、同盟の寿命は短い。国家が自国の価値観に基づいて行動するようになったため、冷戦下と違って、問題ごとに主要国家の組み合わせが変化するからだ。

 国家の安全確保のためには、万が一の事態をも念頭に置く必要がある。永遠の同盟などあり得ない。日米同盟も例外ではない。それに日米安保条約は、北大西洋条約機構(NATO)の条約に比べて信頼性が低い。NATO条約では適用範囲を広く取っており、かつ支援は兵力の使用を含むと明記している。これに対し、日米安保条約は「日本国の施政の下」と狭く、兵力使用の約束はない。弾薬支援や激励だけでも、条約上の義務を果たしたことになるのだ。

 一方、現代では核兵器だけではなく通常兵器もその破壊力が極めて大きくなっている。歴史上、盾と矛はシーソーゲームのように競い合ってきたが、現代では攻撃兵器優位が継続しそうな情勢だ。従って、国家の安全を考える際に重要なのは、戦いを事前に抑止することである。

 そのためには、攻撃力が不可欠である。抑止は相手を脅かすことで打算を強いて自己への攻撃を思い止(とど)まらせる手段である。相手が恫喝(どうかつ)、武力行使しても自国が反撃しなければ、相手は安易に脅かしができ、自己の政治目的を達成できる。自衛権行使の条件の一つとして「比例制の原則」があるのは、このような事態を避けるためである。

 攻撃能力としては、弾道ミサイル、巡航ミサイル、レーダー・ホーミングミサイル、レーザー誘導の空対地ミサイルなどが不可欠である。

 精密誘導装置が付いていれば、必ずしも核弾頭を装着する必要はない。独裁国家は権力が集中しており、分散している民主主義国家よりも脆弱(ぜいじゃく)な側面がある点を念頭に置いて整備すべきである。

 “お守り札“で国民守れぬ

 いずれにしても「憲法9条」「唯一の被爆国」「専守防衛」などの“お守り札”で、国家、国民の安全を図れる時代は過ぎ去ったことを自覚すべきだろう。