死刑廃止宣言、国民感情を踏みにじる日弁連


 日弁連が全国の弁護士を集めて福井市で開いた「人権擁護大会」で、初めて死刑廃止を求める宣言を採択した。何とも不可解な宣言だ。被害者の「人権擁護」の視点が欠落している。国民の8割が死刑制度を支持していることを忘れてはならない。

 国民の8割が死刑を支持

 人権擁護大会には弁護士約3万7000人のうち約800人が参加し、宣言には546人が賛成した。この数は全弁護士の1・4%ほどにすぎない。大会は委任状による議決権の代理行使を認めていないから、ごく少数の弁護士によって死刑廃止宣言がなされたことになる。

 弁護士は日弁連への登録が法律で義務付けられている。それだけに大会の採択の在り方自体に疑念が湧く。弁護士の総意とはとうてい言えまい。

 宣言は死刑について「国際社会の大勢が廃止を志向している」「冤罪で死刑となり、執行されてしまえば取り返しがつかない」などとしている。だが、死刑存廃は国の刑事政策の根幹で、他国に左右されるものではない。死刑制度を維持する国も少なからずある。もとより冤罪は許されないが、防止策は死刑制度とは別に考慮されるべきだ。

 言うまでもないことだが、死刑判決には熟考が重ねられる。死刑適用には「永山基準」(1983年、最高裁)があり、犯罪の動機や殺害方法、社会的影響、犯行後の情状、遺族の被害感情など9項目を総合的に考慮し、刑事責任が極めて重大で、やむを得ない場合に死刑も許されるとしている。

 つまり死刑をもってしか裁けない事犯の場合だ。例えば、全く落ち度のない幼女4人が残忍な犯行の犠牲となった宮崎勤事件(88~89年)がそうだろう。

 大阪パチンコ店放火事件(2009年7月、5人殺害)では死刑の合憲性が争点になったが、大阪地裁は「死刑囚はそれに値する罪を犯しており、(刑執行での)多少の精神的・肉体的苦痛は甘受すべき」との合憲判断を示し、最高裁も「死刑制度が執行方法を含めて合憲なことは判例から明らか」(16年2月)とした。

 日弁連の大会では作家の瀬戸内寂聴氏が「殺したがるばかどもと戦ってください」などと死刑制度を批判するビデオメッセージが流された。加害者の「人権」ばかりを声高に叫び、被害者の人権や遺族の悲痛な思いを愚弄(ぐろう)する態度は理解し難い。

 これには全国犯罪被害者の会(あすの会)顧問で自らも妻を殺害された弁護士の岡村勲氏が「被害者遺族は、加害者に命で償ってもらいたいと思っている。それをばか呼ばわりされるいわれはない」と話している。被害者支援に取り組む弁護士からは「死刑制度反対は被害者への裏切りだ」との声も聞かれた。当然の訴えだろう。

 恣意的な宣言を撤回せよ

 宮崎勤死刑囚の刑執行を命じた当時の鳩山邦夫法相(故人)は朝日新聞から「死に神」呼ばわりされた。だが、死刑制度は被害者遺族の立場や国民感情、凶悪犯罪の抑止、治安維持などさまざまな視点からその妥当性が国民に認められている。

 このことを日弁連は銘記し、恣意(しい)的な宣言を撤回すべきだ。