昭和天皇実録、御生涯と時代の基礎史料


 宮内庁は昭和天皇の87年余りの御生涯を記録した「昭和天皇実録」を公表した。激動の昭和史の中心にあって、常に国家と国民のために歩まれた昭和天皇の日々の御動静を克明に記録した同実録は、昭和史や20世紀研究の第一級の基礎史料である。

 御動静を克明に記録

 実録は全文1万2000㌻超、目次・凡例1冊を含む計61冊からなる。「確実な史料に基づきありのまま叙述する」ことを基本方針として、昭和天皇の御生涯を年代順に日誌形式で、原則口語体で記している。研究者らは昭和史を塗り替えるような新事実はないとしているが、その時々の昭和天皇の御心情がうかがえることの意味は大きい。

 1928年6月4日、満州軍閥の巨頭、張作霖が爆殺される事件が起きるが、即位後間もなかった昭和天皇は事件への対応をめぐり、田中義一首相を叱責し、辞任に追い込まれた。この時の昭和天皇の御言動も確実な史料をもとに再現された。また、36年の二・二六事件では、腰の定まらない軍部の対応に業を煮やし、自ら暴徒鎮圧に当たる意志も示されたが、その時の御動静が克明に記されている。

 日本の運命を決めたとも言える聖断で、終戦を決意された日時、また終戦を最終決定した御前会議開始の時刻なども正確に記されている。

 一方で、謎のまま残された内容もある。戦後のマッカーサー元帥との1回目の御会見での発言については「戦争の全責任を負う者として、私自身を委ねるためお訪ねした」と語られたとするマッカーサーの回想録と、それを記していない外務省と宮内庁の公式記録の両論併記とした。政治問題化しかねない内容については、判断を避けるなど限界もある。しかし、そのような事情を踏まえて、読む側が判断できる面もある。

 これまで知られていなかったことも明らかにされている。例えば、宮中に明治時代からクリスマスプレゼントの習慣があったことや、皇太子時代に鼻の手術を受けられていたことである。子供の頃のお手紙、12歳の時に将来の夢は「博物博士」になることと語られたことなど、昭和天皇の人となり、人間形成について知るために貴重だ。

 実録の編纂(へんさん)にあたっては、これまで公表されていない、天皇の側近として仕えた侍従らの日誌「お手元文書(皇室文書)」が引用され、さらには宮内庁外で発掘された約40件を含む3000件超の史料が用いられている。その中には二・二六事件後の激動の時期に侍従長を務めた百武三郎氏の日記が含まれているが、これまで存在自体知られていなかった史料である。

 これらの史料が今後、適当な時期に開示され、昭和天皇と昭和史に関する研究が進むことを期待したい。

 国民に得るもの大きい

 戦中から戦後、波瀾の生涯を歩まれた昭和天皇。その地位の変化に注目がいきがちだが、国の行く末に責任を持ち常に国民と苦楽をともにされるという姿勢は、戦前も戦後も一貫して変わらなかった。そのようなお姿にも注目しながら、この実録を読んでいけば、国民とりわけリーダーを目指す人々には得るものが大きいと思われる。

(9月11日付社説)