世界日報 Web版

石垣島と台湾、パインの絆


沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 石垣市パインアップル産地協議会(会長・石垣克治石垣市農政経済課長)は6月1日を「石垣島パインアップルの日」と定めている。

 「日本統治時代から多くの台湾人が移民として石垣島に移り住んできた。戦中、戦後を通じて、パイナップル産業をはじめとする農業などの分野で、台湾人が大いに貢献した」。昨年7月31日、石垣市で行われた講演会で、台湾の李登輝元総統がこう述べた。講演の約半分がパイナップルを通じた石垣島民と台湾人の絆についての話だった。

 「1930年代には台湾中部から大量の移民が石垣島へやって来た。彼らが主に持ち込んだのは、パイナップルの栽培と缶詰製造の技術、そして農作業を手伝ってくれる水牛たちである」という。

 35年には53の栽培農家が移住して、本格的なパインの生産が始まった。その3年後に缶詰製造工場が建設され、沖縄の主要産業の一つに成長したのだ。

 ところが、「戦争の激化によって、パイナップル産業に従事する人口は減少し、一時的な衰退に見舞われた。さらに日本の敗戦によって、石垣島と台湾との間に国境線が引かれることになった」。

 それでも、「石垣島と台湾の深い結び付きが途絶えることはなかった。戦争によって衰退した石垣島のパイナップル産業を復興に導いたのは、石垣島に残留することを決めた台湾の人々だった」と李氏は強調した。

 現在の石垣パインがブランドとして認知されているのも台湾の人々の苦労があってのことだ。「石垣島の人々が台湾からやって来た人々と融和し、今日の石垣島において共存共栄していることに感謝を申し上げたい」という李氏の言葉には重みがある。

(T)