「沖縄を変えた男」栽弘義


沖縄発のコラム:美ら風(ちゅらかじ)

 米大リーグの最優秀監督賞がこのほど発表され、ナ・リーグは沖縄生まれの日系人、ドジャース就任1年目のデーブ・ロバーツ監督が初受賞した。

 知名度ではロバーツ監督をも上回る沖縄出身の名将として真っ先に名前が挙がるのは栽弘義ではなかろうか。

 1990年と91年、2年連続で夏の甲子園(高校野球選手権)で沖縄水産高校の監督として準優勝を果たした栽(故人)をモデルにした映画「沖縄を変えた男」が沖縄の映画館で好評上映中だ。

 栽は41年、糸満市で生まれ、戦争で3人の姉を失った。

 米軍施政下、小学校の時に軍人からソフトボールをプレゼントされたことをきっかけに野球に目覚めた。

 本土の大学を卒業して、高校教師に赴任すると同時に、野球指導者としての人生がスタートする。本人も生徒も建築現場のアルバイトをしたり、米軍から備品を譲ってもらったりしながら、野球をする環境を整えた。

 戦争や貧困といった苦労をしているからこそ、指導者としても厳しさがあった。指導方法に賛否両論があるのは事実。ただ、栽さんを演じたガレッジセールのゴリさんの迫真の演技は、栽さんを知る人に「栽監督が乗り移っている」とも言わせるほどだ。

 映画の中で、ある生徒は「僕たちは甲子園を目指している。厳しいのは当たり前」とさらっと言っていた。

 沖縄県民を代表する気持ちを持つよう野球部員を鼓舞し、全国で戦える強豪校に育てた栽監督。近年、沖縄の球児が全国の舞台で活躍し、プロ野球選手が多く誕生している。天国から温かい眼差(まなざ)しで見詰めているに違いない。(T)