共産主義勢力の沖縄支配を阻止した佐喜真市長の再選


 国政選挙並、いやそれ以上の取り組みが行われて熾烈な戦いが繰り広げられた宜野湾市長選挙の投開票が1月24日に行われた。その結果、佐喜真淳氏 27,668票、志村恵一郎氏 21,811票と5,857票の大差で現職の佐喜真淳氏が再選を果たした。

 この重要選挙の勝利により沖縄の自民党県連、一昨年の11月の沖縄県知事選挙以降の連敗にストップをかけることができた。安倍晋三総理は宜野湾市長選挙の佐喜真氏の再選の報を聞き、自民党幹部に「この勝利は大きいね」とコメントをしたという。そこで、今回はこの勝利の意義について改めて考えてみたい。

■宜野湾市長選挙の勝利を政府との法廷闘争の道具としていた翁長・志村陣営

 昨年末、志村候補の選対本部に自民党本部が調査した「佐喜真淳が数ポイントリードしている」との情報が入り危機感が広がった。それ以降、翁長雄志知事はできるだけ公務を副知事に任せ、宜野湾に入って陣頭指揮をとったという。公務より宜野湾市長選挙を優先させたのだ。それは、翁長知事にとっては宜野湾市長選挙を絶対に負けられない理由があるからだ。その理由とは、政府との辺野古埋め立て承認の取消をめぐる法廷闘争である。

 この裁判に関しては沖縄県側が不利でほぼ勝ち目がないというのが多くの識者の見解である。9月の県議会でも翁長知事は一般質問でその点を追求されていた。それにもかかわらず、翁長知事は、宜野湾市長選挙の投票が近づいた1月19日、沖縄県庁で記者会見を開き、県の審査申し出を却下した国地方係争処理委員会(係争委)の判断を不服として、福岡高裁那覇支部に提訴すると発表した。これで、三つ目の政府との法廷闘争である。つまり、一つ一つの裁判をしっかり勝つことに重きを置いているのではなく、訴訟を乱発しているのである。

 筆者はその真意を次のように読んでいる。「翁長陣営は、裁判に勝つことを目標にしているのでも辺野古移設の工事を阻止することを目標にしているのでもない。沖縄県民と政府を激しく対立させ、独立の世論をつくることを目標にしているのだ」と。つまり、政府が裁判に勝つことも、辺野古移設の工事を粛々と進めることも彼等のシナリオに入っているのである。彼等にとって、それらは、阻止の対象ではなく対立を煽る道具なのである。彼等は常にその道具を利用してどうやって、沖縄県民と政府の感情的な対立を扇動するかを考えているのである。

 そのために、沖縄の新聞はここ数年、「被差別意識」を訴える情報を流し続けてきた。しかし、実際に政治的に対立させるには条件がある。その差別を訴える集団が一部の沖縄県民でも半分でもだめなのである。沖縄県民全員が差別を訴えていなければならないのである。そのために生み出した言葉が「オール沖縄」だ。宜野湾市長選挙は、その「オール沖縄」の対立構図づくりの一貫として利用されたのである。

 彼等が争点として持ちだした普天間飛行場の移設先のキャンプシュワブは名護市の行政区であり、宜野湾市の行政区域外だ。世間の常識では、他の自治体の政治問題に口を挟む公約というのはありえない。しかし、志村のオール沖縄陣営はあえてその非常識である辺野古移設阻止を看板にして宜野湾市長選挙を戦ったのである。それも、選挙の勝利を政府との法廷闘争の後押しとして利用するためだったのである。

 しかし、その目論見がみごとはずれて、今後の6月の県議会選挙、7月の参議院選挙の体制だけではなく、法廷闘争を含めた彼等の反政府闘争体制全体の計画が大きく崩れた。2月には訪米を予定しており、志村新市長を同行させる予定だったが、志村候補の落選により訪米そのものも見送ることになったのである。翁長知事が知事に当選して以降、連戦連覇の勢いで選挙に勝ち続けてきた翁長のオール沖縄陣営にとって、宜野湾市長選挙の敗北は想定外でもあり、保守陣営が認識しているよりも大きなダメージがあったものだと思われる。

■「オール沖縄」体制の始まりと根拠

 「オール沖縄」の本体は、翁長知事を擁立した「島ぐるみ会議」である。その正式名称は、「沖縄『建白書』を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」である。この団体の名称に使われている建白書こそが「オール沖縄」の根拠であり精神的柱とされている。2013年1月末、沖縄でオスプレイ配備撤回運動がエスカレートし、自民党から共産党までの全ての市町村長と議会議長が上京し日比谷で集会とデモを行った。それは「安倍総理東京直訴行動」と名を打って行われた。その時、当時の運動の代表であった翁長雄志那覇市長が安倍総理に直接手渡したのが「建白書」である。その建白書に、沖縄県41市町村長と41市町村議会議長の捺印が入っていることを彼等は重要視する。それは、それこそが「オール沖縄」の根拠だからである。更に、オスプレイ配備撤回の集会でありながら、建白書には、「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」が含まれていたのである。これが、翁長知事が辺野古移設阻止を断行する根拠なのである。

 実際には石垣の中山市長は辺野古移設の可能性を排除しない覚書を交わしたり、様々な圧力により半強制的に捺印を強要されている場合もあり「オール沖縄」とは程遠いものであった。しかし、「オール沖縄」陣営は、宜野湾市長選挙まで、知事選挙と衆議院選挙の選挙の結果を「沖縄の民意」や「オール沖縄」と主張し、辺野古移設阻止を要求する根拠としてきたのである。その横暴は長く続くことなく、宜野湾市長選挙の大敗でその土台が崩れてしまったのである。

■マスコミ煽動の全体主義にも勝利した宜野湾市長選挙 ~笛吹けど踊らず~

 「オール沖縄」の歴史をみると、無理矢理の多数派工作の歴史といえる。その実態は、共産主義革命の統一戦線工作である。それは、多数派を構成することができる一つの目標を探しだして掲げ、大衆を煽動しながら、選挙などで勝利し政治的な力を持つと、今度は一転して、少数派を撃破していくのである。

 例えば、「沖縄の民意を踏みにじる」という言葉で政府を批判し、県民を感情的に煽動するが、「沖縄の民意」や「オール沖縄」というスローガンを掲げて当選すると、今度は、県民の異論を封じ始めるのである。その実態は全体主義である。翁長知事の当選でその風潮は加速し、沖縄には重苦しい空気が漂い始めていた。そのような中で、もし、更に宜野湾市長選挙に佐喜真市長が落選したら、沖縄全体が「辺野古移設反対」しか言えない、全体主義社会の風潮が更に強くなっていったであろう。

 しかし、今回の選挙で宜野湾市民は、もうマスコミの吹く笛に踊らされなかったのである。この選挙で佐喜真市長の勝利は、「オール沖縄」の全体主義の沖縄完全支配を阻止したのである。それは、「オール沖縄」を作り上げた沖縄のマスコミにも勝利を意味するのである。更に、沖縄を基地とした安倍内閣倒閣を阻止し、日本共産革命を阻止したのである。安倍総理が「この勝利は大きい」とコメントしたとのことだが、おそらく安倍総理が認識している以上に宜野湾市長選挙の勝利は大きかったのではないだろうか。

■「オール沖縄」陣営の次の一手

 最後に、オール沖縄陣営が次の一手に何を打ってくるのかをシミュレーションしてみたい。彼等の目標は2つある。一つ目の目標は崩壊しかけた「オール沖縄」体制を修復することである。彼等は今後の選挙に向けてその再構築を急がねばならない。そのために考えられる手が2つある。一つは、「辺野古移設阻止の県民投票」であり、もう一つは「翁長知事の出直し選挙」である。

 前者は2月に始まる県議会選挙で議題に上げる可能性がある。辺野古移設の賛否を問う県民投票を実施し、辺野古移設反対の多数という結果持って、「県民の総意」という言葉を使い「オール沖縄」の土台を再構築するのである。県民世論では辺野古移設反対の世論のほうがまだ大きいため可能性はかなり高いかもしれない。

 後者の「知事の出直し選挙」は、一旦知事を辞任し、再び辺野古移設阻止を公約に掲げ、再選し「オール沖縄」再構築する方法である。これは、最後の切り札であるが、逆に負ける可能性もあるため可能性としてはかなり低いのではないかと思う。

 「オール沖縄」陣営のもう一つの目標は、琉球独立の世論を煽動することである。しかし、彼等は「琉球独立」という言葉を直接は使わない。多くの県民には抵抗感があることを知っているからだ。代わりに彼等が使う言葉は、「沖縄の自己決定権の回復」である。自治権の拡大のようなイメージだが、その言葉が海外に出ると民族自決権の意味であり、事実上(日本から)独立する権利という意味になる。

 彼等は、おそらくその声を盛り上げるキャンペーンをいくつか用意していると思う。一つは、今年に入ってから琉球新報、沖縄タイムズ両紙とも突然「沖縄の子どもの貧困」に関して大きな紙面を使い始めている。これを日本による沖縄差別だと政治利用しはじめる可能性がある。

 もう一つは、琉球新報のインタビューで喜納昌春県議会議長が次のように述べている。「1953年にペリーが来琉球した時に米国と締結した琉米修好条約とその後締結した琉蘭修好条約、琉仏修好条約が現在外務省外交史料館に保管されているが、それを沖縄公文書館に返還を実現するよう県議会で意見書や決議を行いたい。2月の定例会でタイミングを見て働きかけたい。それは琉球が独立国であった象徴である」

 一見反論しにくいテーマではあるが、その裏には琉球独立、沖縄の主権回復へと沖縄を日本から引き離す扇動する巧みな誘導がある。これに対する反論は別の機会に譲るとして、この動きが政府との法廷闘争とセットの合わせ技であることを見逃してはならない。2月の沖縄県議会は宜野湾市長選挙に続き、「オール沖縄」という偽名を使った反日・琉球独立勢力との戦いの最前線である。

(沖縄対策本部代表)