沖縄県北部振興事業の是非を論じよ


普天間基地移設 経緯の検証と提言(2)

万国津梁機構・一般社団法人 仲里嘉彦理事長

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辺野古移設が「経済振興策とリンク」と報じた琉球新報平成11年12月27日付夕刊

 普天間飛行場の返還合意後の経緯について触れたい。

 橋本首相が平成8年4月12日にモンデール駐日米大使と共同記者会見を行った際の内容は、沖縄に存在している米軍基地の中に、新たなヘリポートを建設するというものだった。

 それと同時に、①嘉手納飛行場に追加的な施設を整備し、現在の普天間飛行場の一部の機能を移し替え統合する②普天間飛行場に配備されている空中給油機、十数機を岩国飛行場に移し替える③岩国飛行場からは、ほぼ同数のハリアーという騒音で問題が多い戦闘機・垂直離着陸機をアメリカ本国に移す――などを条件に5~7年で普天間飛行場を全面返還するというものだった。

 この共同記者会見直後から米軍の既存施設以外でも数多くの移設候補地が挙げられた。または辺野古地先にメガフロート等各種の海上基地建設計画や埋め立て計画などが浮上したことなどから場所の選定に手間取り、普天間飛行場の全面返還が遅れる要因にもなった。

 さらに基地の移設問題が迷走し長期化した最大の要因は鳩山由紀夫氏が民主党代表時代の平成21年の衆議院選挙前に普天間飛行場は「最低でも県外」移設という表明をしたことだ。これにより、県民の鳩山氏に対する期待は一気に高まったが、同年9月、鳩山内閣が誕生したものの、1年も経(た)たずして県外移設を断念、辺野古へ回帰してしまった。鳩山氏はこの責任を取り、首相を辞任したが、県民の期待を裏切った。

 次に、県が基地の移設を条件に掲げている2点について触れておきたい。

 辺野古につくる空港について沖縄県は、15年の使用期限を移設受け入れの条件として挙げたが、沖縄駐留の米海兵隊の役割は極めて重要であり、国際情勢が変転極まりない状況下で、抑止力につながる米海兵隊基地を15年で沖縄から撤去することは考えにくい。従って、この条件は米軍としては受け入れ難いことである。

 もう1点は軍民共用の空港建設についても果たして利用価値があるか問われる。

 沖縄では軍民共用空港を念頭に置き、新空港が地元地域の発展に有意義なものになるよう、民間空港として利用するためのターミナル等空港利用施設の整備や、空港関連産業の育成、誘致および空港を活用した諸産業の発展のための諸条件の検討に早期に取り組み、その結果に基づいた事業展開を図ることが謳(うた)われている。

 だが、人口の少ない陸の孤島とも言われている過疎地域の辺野古に軍民共用の空港ができても利用者が少なく旅客輸送としての機能を十分発揮することができず、軍民共用としての価値も極めて低いと言わざるを得ない。

 この北部振興事業は基地とのリンク論がさまざまな形で議論されてきたが、政府や北部広域市町村圏事務組合がまとめた北部地域戦略策定業務報告書などの文言を見ると、小学校高学年生でも、基地と北部振興事業がリンクしていることが十分判断できるはずだ。

 ところが、昨年1月の名護市長選挙や同年11月の沖縄県知事選、同12月の衆議院選挙などにおいて普天間飛行場の代替施設受け入れを条件として実施された北部振興事業の是非について、選挙の争点にはならなかった。そればかりか、県民の間で話題になることもほとんどなかったのである。

 この北部振興事業については、沖縄選出国会議員数人と県議数人に対して資料を提示した上で苦渋の選択として受け入れざるを得ないと思うがと水を向けて回答を求めてもあいまいな返事で愕然(がくぜん)としたものである。